カテゴリ:仏教の2500年
慧可(えか、仏暦950 ?1056年))は、洛陽武牢(河南省栄陽郡)に生れ、儒教や老荘思想を学んだが得心せず、香山の永穆寺で得度(僧侶入門の儀式)をしました。出家後は各地を放浪し、さらに香山に戻り8年間修行を続けますが疑念を解明出来ず、嵩山(すうざん)の少林寺で面壁(壁に向かい座禅を組む)していた達磨に面会し弟子入りを請いました。達磨は断ったが慧可はあきらめず自らの腕を切り落として、弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されます(雪中断臂)。実際は元から臂(ひじ)がなかったため、この伝説が作られたのですが、達磨の伝統(法統)を継ぎ、禅宗第2祖となります。弟子の鑑智僧?(がんちそうさん)を育て法統を伝えたが、城安県での布教中、匡救寺の僧弁和が慧可を憎み、「講席(講義の席)を打破した邪見の道人」であると讒訴(ざんそ)し、弁和の訴えを聞いた県令は慧可を捕らえ、取調べなしに処刑しました。
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