935391 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2012年05月01日
XML
カテゴリ:仏教の2500年
img29 延応元年(仏暦1702年)に叡尊が主導していた西大寺の再建に勧進聖として加わり、叡尊(新義律宗)に惹かれてその弟子となった忍性(にんしょう(建保5年)は、鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧で日蓮より5歳年上です。日蓮が立正安国論を書いた翌年の弘長元年(仏暦1724年)に北条重時の信頼を得て鎌倉へ進出し、北条重時の葬儀も司ります。師の叡尊からは真言密教・戒律受持・聖徳太子信仰を受け継いでおり、特に聖徳太子が四天王寺の創建に際し「四箇院の制」を採った事に深く感銘し、その復興を図りました。四箇院とは、仏法修行の道場である敬田院、 病者に薬を施す施薬院、病者を収容し病気を治療する療病院、身寄りのない者や年老いた者を収容する悲田院の4つで、極楽寺には療病院、悲田院、福田院、癩宿が設けられ、四天王寺では悲田院、敬田院を再興します。鎌倉初期以来、四天王寺の西門付近は「極楽土東門」すなわち極楽への東側の入り口と認識されており病者・貧者・乞食・非人などが救済を求めて集まる所となっていましたが、忍性はここに石の鳥居を築造し、これらの人々を真言の利益にあずからせようとしました。また女性救済や尼寺建立のほか葬式、ハンセン病患者の救済、橋梁・港湾工事など様々な社会救済活事業を行いました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年05月01日 07時14分12秒
コメント(0) | コメントを書く
[仏教の2500年] カテゴリの最新記事


PR


© Rakuten Group, Inc.
X