カテゴリ:仏教の2500年
太原 雪斎(たいげん せっさい)は臨済宗の僧で今川氏の家臣です。今川氏親に頼まれて、氏親の五男・芳菊丸(のちの今川義元)の教育係になりました。今川家の有力被官で氏親の側室の父である福島氏は、子の玄広恵探(花蔵殿)に今川の家督を継がせようとしました(花倉の乱:はなくら、静岡県藤枝市の地名)。雪斎は寿桂尼(氏親の正室)とともに栴岳承芳(義元)を支持し、承芳を還俗させ家督相続を実現させました。当主となった今川義元は、雪斎の功績を多とし厚く信頼し、政治・軍事における最高顧問として重用します。雪斎は駿府臨済寺の住持として宗教的な影響力を持ちながら、今川氏の執政、軍師とも呼ばれ、政治・軍事・外交に秀でた手腕で義元を補佐しました。今川義元の右腕として手腕を発揮し、今川氏の発展に大きく寄与しましたが、雪斎の死によって今川氏の衰退は始まりました。もし雪斎が桶狭間の戦い(永禄3年:仏暦2023)まで生きていたなら、義元は決して織田信長に討たれるようなことはなかったでしょう。
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