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私の人生論 (思考が運命になる)

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2012年07月10日
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カテゴリ:仏教の2500年
img80 貞心尼は柏崎(新潟県)郊外の下宿村新出(しで)の山というところに庵(閻王寺:えんのうじ)を結んでいた眠龍(みんりゅう)、心龍(しんりゅう)の二人の尼僧を訪ねて、そこで剃髪の身となりました。寛政10年、長岡藩士奥村五兵衛(嘉七)の娘として生まれ、俗名マスといい、学問好きの少女でした。文化11年マス17歳の時小出島の医師、関長温に嫁入りしましたが5年後夫と死別し、長岡の生家に戻ります。生家に戻ったマスは、人生の無常を感じ出家を志したのです。剃髪当時は二十五歳と若く人並すぐれた美貌の持主であったので、村人達の間で噂の種となり「姉さ庵主(あんじゅ)」と仇名(あだな)されました。二十八歳の時に郷里に近い古志(こし)郡福嶋(ふくじま)村の閻魔堂に住むことになり、ここで彼女は初めて良寛に出会い、両者の間に世にも稀なる美しい交りが結ばれました。良寛は、月の光のような清く尊い仏のみ心は、唐(から)の国も日本も、昔も今も、うそも真実も、闇の世界も明るい世界も、みな同じように照らして理解するようにしておられる。だから、あなたもやがて仏のみ心を理解できるであろうと、歌で教えたのであった。良寛と貞心尼の関係は、盲目の絶世の美女、森女(しんじょ)に身も心も恋い慕われた一休を見る思いがします。





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最終更新日  2012年07月11日 05時49分58秒
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