カテゴリ:仏教の2500年
梅岩は、禅の思想体験を朱子学の言葉で語り、町人の正しい生き方を教えました。その教えは心学と呼ばれ、江戸後期、全国に広まりました。梅岩は京都の山村に百姓の次男として生まれ23歳の時、京都の商家に奉公し、神道や儒教に関心を持ちます。43歳の時、師の小栗了雲に出会います。その後、京都の自宅で、町人たちに無料で講釈しました。その教えは、鈴木正三の流れをくみ、「一般的に言えば道は一つである。しかし、士・農・工・商それぞれの道があり乞食までそれにはそれの道があり、飢えて死んでも盗まないのが乞食の道」だと言います。「学問の道は、第一に自分を正しくし、正義に従って主君を尊び、仁と愛で父母に仕え、友人と交際するのに偽りなく、ひろく人を愛し、貧しい人をあわれみ、手柄があっても威張らず、衣服から諸道具にいたるまで、つつましくして美麗なものを避けることです。家の仕事に精通し、財産は収入を考えて出費を決め、規則を守って家の秩序を維持します。学問の道はおよそこういうものです。」
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最終更新日
2012年07月12日 06時19分46秒
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