2020/04/23(木)05:10
古代の知の体系
生産力の高まりとともに余剰生産物が生じ、
その配分が不均等化し、
社会階層の分化が進行していくとともに、
職業も分化してきました。
そして、
大規模化・複雑化していく社会の
秩序を維持していくための指導者が生じてきました。
このような指導者としては、
当初は知の担い手、
神官があたる場合が多かったようです。
ここで、原初におけるヒトの知の体系は、
まずは「宗教」と名づけられるものとして現れました。
しかし、
神官といってもその内容は様々な要素の混合物で、
今日的にみれば、
宗教者であるとともに
科学者としての側面も有していました。
その後、ヒトの長い歴史のなかで、
経験的に実証可能な知識は次第に宗教から分離し、
まったく独立した「科学」の体系となっていきました。