ポルトガルのアジア進出
西欧人は、長いあいだ牧畜に依存して生活してきた関係から、大量の肉をたべる習慣が今日までつづいてきています。そのために、西欧人は殺した家畜の肉を保存することについて、むかしから大きな関心をもっていましたが、当時肉の保存にもっとも有効な方法は、コショウをつかうことでした。そこで、西欧人は血まなこになってこのコショウをもとめました。一四~一五世紀には、世界最大のコショウの産地は、フィリピン南方のモルツカ諸島でした。イスラーム商人がモルツカで買いつけたコショウは、マレー半島のマラッカとインド南端のカリカットを経て、アラビア半島の南端のアデンへ行き、細長い紅海を北上して、地中海南岸のカイロとアレクサンドリアへはこばれました。そこから北イタリアの諸都市の商人によって、西欧各地へ売られていったのです。ほぼ地球を半周する大貿易ルートだったわけです。