カテゴリ:認識の歩み
多くの人々が大陸から、 あるいは大洋から渡ってきました。 彼らはここを太陽が昇る 最後の東端の島と思ったことでしょう。 もっとも中には、 荒々しい人々もいたことでしょう。 それは神話に出てくる須佐之男命や その子孫の姿に反映されていると思われます。 しかし、温暖な気候と豊富な水に恵まれ、 緑豊かな風土の中で、 安定して和やかに楽天的に暮らしている山の人や 争いのない「高夫原」のやさしい文化に、 渡ってきた人々は心を和ませ、 争う気持ちをしずめ、 尊敬の念を抱くようになっていったのです。 山の人の暮らしに馴染んでいくようになったのです。 こうして、海から上陸してくる人々と、 それまで山に住んでいた人々との調和の中に、 やさしい心をもつ日本人の原型、 原日本人が形成されていったと思われます。 縄文時代は原始時代などではありません。 日本列島にはこのころからすでに、 確かな文明があったのです。 それは大陸の四大文明とはタイプの異なる、 自然と織りあった旭日の日本文明だったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月01日 05時00分06秒
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