カテゴリ:認識の歩み
天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、 天照大御神の子である天忍穂耳命に、 「葦原中国平定が終わったので、 以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」 と言いました。 天忍穂耳命は、 「天降りの準備をしている間に、 子の邇邇藝命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」 と答えました。 天照大御神の孫(天孫)である 邇邇芸命(ににぎのみこと)が 天照大御神の神勅を受けて葦原の中津国を治めるために、 高天原から筑紫の日向の襲の 高千穂峰へ天降(あまくだり:降臨)しました。 このとき天照大御神から授かった三種の神器を携え、 天児屋命などの神々を連れて、 高天原から地上へと向かう途中、 猿田毘古神(さるたひこのかみ)が道案内をしました。 邇邇芸命は笠沙の岬で逢った美しい娘、 木花之佐久夜毘売と結婚し、 木花之佐久夜毘売は御子を出産しました。 大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたて、 石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇藝命)の命は 岩のように永遠のものとなり、 木花之佐久夜毘売を妻にすれば 木の花が咲くように繁栄するだろう」 と誓約(うけひ)をしたのですが 姉の石長比売はとても醜かったので、 邇邇藝命は石長比売を送り返し、 木花之佐久夜毘売だけと結婚したのです。 それで、 現在でも天津神の御子の寿命は長くないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年12月24日 05時00分06秒
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