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私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

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2021年12月24日
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カテゴリ:認識の歩み


 天照大御神と高木神(高御産巣日神)は、
 天照大御神の子である天忍穂耳命に、
 「葦原中国平定が終わったので、
 以前に委任した通りに、天降って葦原中国を治めなさい」
 と言いました。

 天忍穂耳命は、
 「天降りの準備をしている間に、
 子の邇邇藝命が生まれたので、この子を降すべきでしょう」
 と答えました。

 天照大御神の孫(天孫)である
 邇邇芸命(ににぎのみこと)が
 天照大御神の神勅を受けて葦原の中津国を治めるために、
 高天原から筑紫の日向の襲の
 高千穂峰へ天降(あまくだり:降臨)しました。

 このとき天照大御神から授かった三種の神器を携え、
 天児屋命などの神々を連れて、
 高天原から地上へと向かう途中、
 猿田毘古神(さるたひこのかみ)が道案内をしました。

 邇邇芸命は笠沙の岬で逢った美しい娘、
 木花之佐久夜毘売と結婚し、
 木花之佐久夜毘売は御子を出産しました。

 大山津見神は「私が娘二人を一緒に差し上げたて、
 石長比売を妻にすれば天津神の御子(邇邇藝命)の命は
 岩のように永遠のものとなり、
 木花之佐久夜毘売を妻にすれば
 木の花が咲くように繁栄するだろう」
 と誓約(うけひ)をしたのですが
 姉の石長比売はとても醜かったので、
 邇邇藝命は石長比売を送り返し、
 木花之佐久夜毘売だけと結婚したのです。

 それで、
 現在でも天津神の御子の寿命は長くないのです。





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最終更新日  2021年12月24日 05時00分06秒
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