カテゴリ:認識の歩み
「絹の道」はすなわちシルク・ロードです。 「絹の道」と名づけたのは、 当時は支那でしかとれなかった絹が もっとも貴重なものとされ、 貿易の中心をしめていたためです。 絹はラクダに積まれて支那から 西へ西へとはこばれていきました。 しかし、「絹の道」は、 ただ絹を運送するだけの道ではなかったのです。 この道をとおって、 じつにさまざまな物資が大量に輸送されたのです。 絹のほかにも、 支那の他の産物が西へはこばれています。 西方からも、さまざまな物資がラクダに積まれて 東へ東へとはこばれてきたのです。 「絹の道」は、ユーラシア大陸の東と西をむすぶ 大貿易ルートだったのです。 物資が交換されていた (交易がおこなわれた)ばかりでなく、 「絹の道」をとおって、東の文化が西へ、 また西の文化が東へつたわっていきました。 文化交流の役目もはたしたのです。 しかも東西だけではなく、中央アジアにおいて、 インドからきた南のルートともあわさっています。 ですから、「絹の道」を中心にして、 東西南北の物資が交換され、 文化交流がおこなわれたのです。 つまりユーラシア大陸のまん中をつらぬく「絹の道」は、 ユーラシアの歴史に決定的な影響をあたえたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月21日 06時07分32秒
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