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私の人生論 (思考が運命になる)

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2022年06月21日
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カテゴリ:認識の歩み


 「絹の道」はすなわちシルク・ロードです。

 「絹の道」と名づけたのは、
 当時は支那でしかとれなかった絹が
 もっとも貴重なものとされ、
 貿易の中心をしめていたためです。

 絹はラクダに積まれて支那から
 西へ西へとはこばれていきました。
 
 しかし、「絹の道」は、
 ただ絹を運送するだけの道ではなかったのです。

 この道をとおって、
 じつにさまざまな物資が大量に輸送されたのです。

 絹のほかにも、
 支那の他の産物が西へはこばれています。

 西方からも、さまざまな物資がラクダに積まれて
 東へ東へとはこばれてきたのです。

 「絹の道」は、ユーラシア大陸の東と西をむすぶ
 大貿易ルートだったのです。

 物資が交換されていた
 (交易がおこなわれた)ばかりでなく、
 「絹の道」をとおって、東の文化が西へ、
 また西の文化が東へつたわっていきました。

 文化交流の役目もはたしたのです。

 しかも東西だけではなく、中央アジアにおいて、
 インドからきた南のルートともあわさっています。

 ですから、「絹の道」を中心にして、
 東西南北の物資が交換され、
 文化交流がおこなわれたのです。

 つまりユーラシア大陸のまん中をつらぬく「絹の道」は、
 ユーラシアの歴史に決定的な影響をあたえたのです。





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最終更新日  2022年06月21日 06時07分32秒
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