カテゴリ:認識の歩み
平安京は、京都盆地のほぼ中央に 南北三十八町(約五・三キロ)、 東西三十二町(約四・六キロ)の 都城として設定されています。 新京の中央部を商流していた鴨河は、 京を洪水から守るために、 大工事の結果、京の東辺に移動、 京の西を流れる桂川とともに 水上交通のルートとなり、 京の北部中央に南北十町(約一.四キロ)、 東西八町(約一・二キロ)の大内裏があります。 大内裏の南面中央が朱雀門(すざくもん)で、 ここから京の南端の羅城門(らじようもん)まで、 幅二十八丈(約八十五メートル)の 朱雀大路が作られました。 朱雀大路から大内裏に入ると、 正面が応天門でその内部が朝堂院、西側が豊楽院、 そのまわりに太政官をはじめ 数多くの政庁が配置されていました。 天皇の御所である内裏は、 大内裏の中央部東寄りにあります。 内裏の中には、正殿である紫寝殿(ししんでん)、 天皇の居所である清涼殿(せいりようでん)など 様々の殿舎が建ち並んでいました。 京は、朱雀大路によって、 左京と右京に分けられた。 左京は、東西・南北に走る大小の 道路によって整然と区画され、 そこに酉の市や鴻蘆館(こうろかん)・ 東寺・西寺をはじめ、 貴族.宮人・庶民の住居が営まれました。 ただし東側の左京は栄えたが、 西側の右京は桂川の湿地帯にあったため、 造京のはじめから居住者は少なかったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年02月14日 05時10分06秒
コメント(0) | コメントを書く |
|