カテゴリ:認識の歩み
インドの、 この時代の社会・経済生活に関する資料は乏しく、 どのような政治的単位に分割されていたのか さえよくわかっていません。 全般的に言って 高い水準の活動がつづけられていたことは まちがいはありません。 そしてベンガル地方だとか、 カシミールのヒマラヤ山脈の渓谷部の辺境などには、 インド的社会が広がっていきました。 これらの地方では、 ジャングルと沼沢地、丘陵と森林が、 耕作された田園に変わっていったのです。 したがって、 インダス流域の国境地方を イスラムに取られはしたものの、 全体としてのインド社会は膨脹をつづけました。 このような成功も、 イスラムの脅威に対するインドの反応の 極めて否定的な側面を持つものだった という事実は消せません。 感受性が固く殻を閉ざしてしまい、 明確に疑問の余地なくインド的なものだけに集中して、 国外からの刺戟を拒否したのです。 その結果、前のグプタ時代に発展した 活発にして稔(みの)り豊かな活動の成果を、 放棄したり軽視したりすることになったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年06月19日 05時00分08秒
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