カテゴリ:認識の歩み
六世紀のころ、 インドのヴイクラマーディティヤ王の治世にあらわれ、 詩歌音楽の隆盛をもたらした自由廣大の精神は、 支那唐朝にも、 同時代のわが奈良朝の宮廷にもあらわれています。 さらに、八世紀のインドにおいて、 ヒンズー教の使徒シャンカラチャリヤをうんだ 個人主義と民族再興の動きは、 支那宋朝における同様の活動となってあらわれ、 新儒教学派と禅宗再建をもたらし、 その反響は朝鮮と日本にもおよんでいます。 こうして、キリスト教世界が 中世の形成のために苦闘していたときに、 仏教世界は、思想の花がそれぞれのうつくしさを競いあう、 文化の一大庭園の観を呈していたのです。 しかし、この文明の花園は、 ジンギス汗の騎馬隊によってふみにじられ、 荒野同然にされてしまいました。 草原(ステップ)の戦士たちが 支那とインドのゆたかな地域にあらわれたのは、 これがはじめてではありません。 フン族とスキタイ人が 両国の辺境地域を一時的に支配したことは、 何度もありました。 だが、しばらくすると彼らは追いはらわれるか、 飼いならされて平原の平和な生活のなかに 吸収されてしまうのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年08月04日 08時32分08秒
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