カテゴリ:認識の歩み
字多天皇の八九四(寛平六)年に、 遣唐使が廃止され、唐との直接交渉がなくなり、 これまでに次第に芽生えつつあった 文化の国風化が促進され、 藤原氏の貴族政治を背景として、 優艶・繊細・巧緻を旨とする王朝文化が誕生しました。 『古事記』や『万葉集』には 漢字の音や訓を日本語の音節に当てはめて 日本語に書き表す、 いわゆる万葉仮名が用いられていました。 その万葉仮名がしだいに簡略化され、 片仮名、平仮名になっていきました。 仮名文字がつくられたことは、 日本の文化に大きな影響をもたらしました。 国風文化が 一層洗練されたものになっていくのです。 日本の文学はさらに独自性を発揮していきます。 それが九世紀後半からの和歌と物語文学です。 特に平仮名は貴族の女性の問に広がりました。 清少納言は、 鋭い観察眼で宮廷生活をつづった 『枕草子』を著しました。 同じく宮仕えの女性であった紫式部は 『源氏物語』を書きました。 『源氏物語』に争いは一切描かれません。 それは天皇と摂関政治が 非常に安定していることを表しているのです。 女性が強い感受性を発揮して 文学をつくる能力をもつこと自体、 社会が安定していた証拠といえます。 そうした時代背景のもとに 豊かな文化が育まれていったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年11月04日 11時05分06秒
コメント(0) | コメントを書く |
|