929362 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2024年10月03日
XML
カテゴリ:認識の歩み


山国の甲斐では、
山のふもとに牧場が設けられ、
良馬が多かった。

そこで精鋭をほこる武田軍は、
騎馬隊を中心に、
長槍隊が敵陣をつきくずすという
戦法をとりました。

信長はこの長槍・騎馬隊と
正面衝突することを避け、
密集部隊を鉄砲で
いっせいに射撃するという戦術を採用しました。

このため陣地の前面に、
二十余町の間に二重三重の空堀を掘り、
土手を築き、木柵を 三重にはりめぐらし、
甲州勢の突進を阻止しようとしました。

もともと鉄砲をいちばん早く
手に入れたのは武田信玄ですが、
かれは、火縄銃は雨の日には使用できないし、
一発うってから、つぎの一発を打つまでに
時間がかかる鉄砲は
実戦にはあまり役に立たないと考えていました。

しかし信長は、鉄砲隊を三段に配置し,
第一列が発射したあとは、第二列が前に出て発射し、
ついで第三列が発射し終わったときは、
第一列の玉込めが完了しているという、
一発目と二発目との間の時間を短縮を考えました。

これには多数の鉄砲を必要ですが、
国友村(滋賀県)や根来(和歌山県)のような
鉄砲の産地を手に入れた信長には
それができたのです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年10月03日 05時10分09秒
コメント(0) | コメントを書く
[認識の歩み] カテゴリの最新記事


PR


© Rakuten Group, Inc.
X