残念ながら「卑怯な 所功教授」
2月26日の「たかじん」で取り上げた、ご皇室問題の危機。「銀色の侍魂」さまのページに書かれていますが、所教授の残念な本性が感じ取られたと思います。三宅久之氏に、「それね・・先生がね、やっぱり新憲法というものに毒されてるんですよ」と看破され、激高して、「私、今の憲法に毒されていると言われたけど、取り消してください! 私はそんなことありません。」と、真っ赤になって声を荒げておられました。詳しくは「銀色の侍魂」さまのところで、お読み頂くとして・・・もっと見過ごせない、所教授の卑怯な言説が明らかとなりましたので、ここに記しておくことに致します。斎藤吉久のイザ!ブログ【再考。誰が女性宮家を言い出したのか】斎藤氏はかねてから、この皇室典範改正を追って書き続けておられます。ただ、私にとっては、少し読み取りにくいところもありましたので、構成を変えて整理してみました。以下「斎藤吉久のイザ!ブログ」より抜粋して引用平成24年 正論3月号(2012)所教授の記事は冒頭に、昨年10月、羽毛田信吾宮内庁長官が野田佳彦首相に、女性皇族が婚姻によって皇室を離れるため、皇族の数が少なくなるから、「皇室のご活動に支障を来す」と解説したことが、「女性宮家」創設問題の発端であるかのように書かれています。所教授はまた、こう説明されています。「この『女性宮家』案は、8年前『皇室典範有識者会議』で検討し、 その報告書に『皇族女子は、婚姻後も皇室にとどまり、 その配偶者も皇族の身分を有することとする必要がある』としている」 ところが今回 野田首相に「女性宮家」創設を「火急の件」として提案したと伝えられていることについて、羽毛田長官は強く否定しています。(「週刊朝日」昨年12月30日号)2011.そこで、斎藤氏は直接、所教授に聞かれたそうです。ご本人に直接、お話ししてみました。意外な答えが返ってきました。複数の資料を見た。「女性宮家」を誰が言い出したのか、知らない、というのです。報告書原文「現行制度では、皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、 皇族の身分を離れることとされているが、 女子が皇位継承資格を有することとした場合には、 婚姻後も、皇位継承資格者として、皇族の身分にとどまり、 その配偶者や子孫も皇族となることとする必要がある」(「3、皇族の範囲」)と述べられていますが、「女性宮家」とは表現されていません。 じつは、有識者会議で「女性宮家」創設を唱えたのは、所教授その人だったのです。 同会議は識者からのヒアリングを行っていますが、教授は平成17年(2003)6月8日会議に招かれ、こう述べています。「皇族の総数が現在かなり極端に少なくなってきております。 しかも、今後少子化が進み更に減少するおそれがあります。 このような皇族の減少を何とかして食い止めるためには、 まず女性皇族が結婚後も宮家を立てられることにより、 皇族身分にとどまられることができるようにする必要があります」けれども、教授が当日配布した資料には、「女系継承の容認と女性宮家の創立」と明記され、「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女も皇族とする必要があろう」などと記されています。 斎藤氏が語る「女性宮家」という言葉を使った、一番古い記事のこと もっとも古い記事は「週刊朝日」平成16年(2004)7月9日号に掲載された「雅子さま、救う『女性宮家』考」という4ページの記事であることが分かります。さっそく記事を読むと、そのリードには、「皇太子さまの異例発言を受け、盛り上がる皇室典範改正論議。 『女性天皇』が認められれば、 皇太子妃雅子さまの悩みも軽減される──というわけでもないらしい。 愛子さまのプレッシャーを軽くするには 『女性宮家』の創設が先だとする研究者もいる」と書いてあります。雑誌記事が出てから約半年後、12月27日に設置されたのが、皇室典範有識者会議であり、その報告書は翌年11月24日(2005) 小泉首相に提出されました。少し調べれば、これだけの資料が出てくるのに、所先生は自分が提唱者だとはおっしゃりません。??そればかりではありません。所先生は、「女性宮家」創設案の提唱者が渡邉允前侍従長であるかのように書いています。 それが以下の記事すでに前侍従長(現侍従職御用掛)の渡邉允氏が、平成21年(2009)11月11日付『日本経済新聞』朝刊に掲載されたインタビュー記事の中で、『皇統論議は将来の世代に委ね……女性宮家設立に合意できないものか』と述べておられる (翌22年1月31日放映の テレビ朝日「サンデー・プロジェクト」録画対談、および「週刊朝日」同年12月31日号の特別対談でも 同趣の発言があった)」所先生のいう「日経のインタビュー記事」は不正確です。 日経はご在位20年企画として、11月6日から社会面に「平成の天皇」という連載を載せていたのです。11日は連載の最後、5回目で、「皇統の悩み。『女系』巡り割れる議論」でした。記事は「宮内庁には『このままでは宮家がゼロになる』との危機感から、女性皇族を残すため女性宮家設立を望む声が強い。しかし『女系天皇への道筋』として反発を招くとの意見もある」と述べ、そのあとに渡邉允前侍従長の私見と断ったうえで、既述の「女性宮家設立」案を語らせています。 【結論 】『女性宮家』の創設が先だとする「研究者」はまぎれもなく、所功教授であると思われます。つまり、平成16年7月(2004) 以前に所教授は「女性宮家」創設を考え出し、すでに主張していたのですね!それをまあ・・・「女性宮家」を誰が言い出したのか知らない、とは!このズルさは、あの笠原教授と同類ですね!・・・orz