地球人スピリット・ジャーナル1.0

2009/01/24(土)09:45

ウェブで民主主義しよう (No.025)

シンギュラリティ(108)

<024>よりつづく  10代からの友人と「ウェブ進化論」を話し合ってみた。この35年ほど、ほとんどの人生の間、友人であった。職業も職種こそ違え、地方都市の個人相手の自営業という意味ではほとんど同じ立場であるといえる。友人はまだ本著は読んでいないが、今日にでもさっそく買って読んでみるという。 私はこの本関連の記事を書いて、今日で25回目にあるのだが、本著を読みながら、すこしづつ考え方が変わっていっているのを感じている。友人の考えは、これまでの私の考えにかなりに似ている。デジタルデバイド、中国大陸の人々やイスラム社会などへの共感、ネット社会へのペシミズム、未来への希望と不安、身体的衰退の嘆きなどなど、ほとんど、そうだなぁ、と思うことばかり。この彼がこの本を読んで、どのように変化していくか、楽しみではある。 ウェブ上での民主主義 p053 さぁ、この言葉はかなりの挑発的な言葉だ。 すべての言語におけるすべての言語の組み合わせに対する「最も適した情報」とは、どういう基準で順位付けが決定されるべきなのか。グーグルはそこに「ウェブ上での民主主義」を導入したと宣言する。 p054 ここでもまた民主主義という言葉が、なんの定義のないまま使われているが、いままでの陳腐な論争の中にまぎれていってしまう民主主義より、新しき技術がもたらす新しき世界観を「民主主義」と言い切ってしまうところに、どことなく小気味よさを感じるのも事実だ。 ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組みが、グーグルの生命線たるページランク・アルゴリズムなのである。 p054 ここでの「相互に張り巡らされるリンクの関係 」というところがミソだな。 リンクという民意だけに依存して知を再編成するから「民主主義」。そしてこの「民主主義」も「インターネットの意志」の一つだと、彼らは信奉しているのだ。 p054 彼らは信奉しているのだ。 そうか、著者は、ここでGoogleに距離をおいて、考えている。私はおっちょこちょいで、早とちって「ウェブで民主主義しよう」なんて、のんきに言ってしまっていいのだろうか? 「インターネットの意志」を実現したいという要求、言い換えれば「インターネット神への信仰心のようなものの強さが、グーグルという会社の特異な個性と言えるのである。 p055 はぁ、「インターネットの意志」「インターネット神への信仰心」・・・ ですかぁ・・・・ とにもかくにも、とりあえず、この文章を記憶しておこう。これはGoogle自身の言葉なのか、著者の冷ややかな皮肉なのか、いまのところはよくわからない。いやむしろ、著者のオプティミックなGoogleへの礼賛なのかもしれない。 Googleの紹介本をもう一冊読んでみることにした。goo&Google検索の達人 <026>へつづく

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