地球人スピリット・ジャーナル1.0

2009/02/04(水)19:06

チョムスキー、民意と人権を語る レイコ突撃インタビュー

マルチチュード(108)

「チョムスキー、民意と人権を語る」  レイコ突撃インタビュー 2005  「レイコ@チョート校」や「9.11ジェネレーション」の岡崎玲子が「覇権か、生存か」のノーム・チョムスキーに突撃インタビューするという企画である。なぁ~んだ、すでにこういう企画があって、すでに終わっていたのね。お釈迦様の手のひらをあっちに行ったり、こっちに行ったりする孫悟空の姿にさもにている自分が、ちょっと情けない気分にもなる。  いずれにせよ、48歳の年齢の開きのある二人の対談には、なかなか興味引かれるとことが多い。さも、お爺さんが孫娘に語りかけている、とも取れるような対談に、ほほえましいものを感じながらも、レイコの若きジャーナリストとしての才気煥発なことや、チョムスキーの他人に対する愛情深いことなどが、本書からも読み取れる。  レイコが私立チョート校の担任教師がハワード・ジンを教科書と併用していたというと、チョムスキーは、それは非常にまれなケースだが、教育システムはそのように機能することが理想的だと指摘する。  チョムスキーの15歳の孫は、日本に行きたがっていて、2004年の夏に日本を訪れ、シブヤから離れられなかったらしい、と彼は言う。通常の書物ではなかなかこういうエピソードがつかめない。このインタビューはマサチューセッツ工科大学のチョムスキー研究室にて行われた。  レイコは「インタビューを終えて」「愛国者チョムスキー」でこういう。  チョムスキー教授は、その名前が辞書に載っている権威をもって特定の思想を売りつける気などさらさらない。彼が伝えようとしているのは、自分が導き出した結論ではなく、そこへ至るまでの過程(ぷろせす)。自身のメッセージを押し付けるのではなく、一人ひとりの人間が自らの意見を持つことを願っているのであろう。p83  なるほど、そう言われてみれば、確かにこの辺がものたりないところでもあり、また、よいところでもあるのかも知れない。私は今ネグリ&ハートのマルチチュードを探索する過程でチョムスキーの著作に触れることになった。ネグリ達は確かに自らのビジョンをより明確に定義しようとするが、チョムスキーは、現状を把握し、「立ち上がれ」と激を飛ばす、というぎりぎりのところでとどまる、という姿勢だ。  チョムスキー教授は自分の影響力を承知しているだろうが、それ以前に、一人ひとりの地道な熟考と活動こそが世界を動かしていると確信しているにちがいない。そうでなければ、誰もが読破をためらうような資料を発掘し、葬られた真実を指摘し続ける使命に、これほどのエネルギーを注ぐことができるだろうか。p85  なるほど、レイコにここまで言われると、マルチチュードという複数形の名称にとどまるネグリ&ハートよりチョムスキーのほうが、より地球人スピリットに近いかな、と思ったりもする。しかしながら、この言葉をチョムスキーの文章から私はまだ見つけることはできない。あえていうなら、ネグリやチョムスキーより、よりレイコが一番地球人スピリットに近い、ということができるかもしれない。  なぜアメリカのあり方をそれほどに批判するのかと聞かれると、チョムスキー教授は自分が最も深く把握でき、直接的に変化を促すことができる対象であるためだと説明している。私も日本という国の方向性について自分なりのヴィジョンを描くために、与えられた情報に満足することなく問題意識を持ち続けていきたい。その心構えが現実に意味をもつのだと改めて悟り、MITをあとにした。p89  巻末に国連の「世界人権宣言」がある。こうして文章として読むのは初めてだ。そういえばOshoの「新人権宣言」という本があることも、あわせて思い出した。

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