地球人スピリット・ジャーナル1.0

2010/03/07(日)22:02

魂の螺旋ダンス<4>

ブッダ達の心理学1.0(108)

<3>より続く 「魂の螺旋ダンス」<4> The Spiritual Spiral-dance はるかなる今ここへ  長澤靖浩 2004/10 第三書館  一方、80年代の後半は、かつてのコミューンの瓦解など、グルイズムの問題点が浮き彫りとなり、崩壊していくという過程でもあった。p170  この辺は著者の筆の走りすぎであろう。「コミューンの瓦解」「崩壊していく過程」という側面ばかりを強調しているようだが、それはある意味、最初から予測されたことでもあったし、またその可能性も最初からあったのである。あるいは、「瓦解」し「崩壊」することによって「意図」された何かがあったのである。単にあのオレゴンのコミューン一個をエスタブリッシュすることだけがOshoの目的ではなかった筈だ。  ちょっとあまり使い慣れない引用だが、ソクラテスが毒殺されたからと言って、ソクラテスが意味を失ったのではなく、よりソクラテスそのものになったと言える。キリストが十字架にかかったからと言って、キリストが意味を失ってしまったわけではない。そこでキリストはよりキリストになったと言える。  この本において著者は、瓦解し、崩壊した、ことばかりを紹介しているが、その過程のすぐ脇でもっと新しき、もっと純化されたOshoが始まっていたことを紹介することを忘れてはいないだろうか。私にとっては、オレゴンのコミューンが建設できなかったことは残念であるが、しかしそれもまた、ひとつの物語なのであって、Oshoの輝きに、なんの曇りがさしたことにはならないのである。  著者はよもや、ここのところを上九一色村のオウム教団の施設とオーバーラップさせていることはないだろうが、もし、そのような方向で見ているとするならば、ちょっと残念だ。それでは、私の見方とはまったく違うことになる。  その源流は、神智学会によるインド思想再発見にあり、ルドルフ・シュタイナー、クリシュナムルティといった巨人も全てその流れの一部である。日本の禅者である鈴木大拙ですら交流を通じて神智学会の影響を受けており、バグワン・シュリ・ラジニーシもそれらの思想的達成を継承する形で、グルとしての道を歩み始めたのにはちがいない。p197  この辺の理解は、著者に賛同するところが多い。と言うか今まで神智学会について、まるで学習してこなかった私であるが、このブログで「アガルタ」などというカテゴリで突入しなくてはならないのは、まさにこの神智学会やその周辺にあるものたちだ。ただ、ここで、「グルとしての道を歩み始めたのにはちがいない」と、かつて「グル」と呼んだ人をこのように表現することは、必ずしも正しくはない。  この方の現在の心境というものはわからないし、知らなければならない、ということはなにもないのだが、愛や尊敬というものは、相手の価値を高めるばかりではく、自分をも高める。誰かをののしれば、自分の価値も相対的に下がる。ましてや、自分の「グル」あるいは「グル」だった人にこのような表現をつかうことによって、著者が得ることは少ないと思う。  私は別な表現を使う。OshoにはOsho独自の考えがあった。ある時、Oshoはその考え(悟り)を言葉を使って他人に伝えようとした。それはインドの民衆であり、またジャイナの人々であった。インド的でジャイナ的な言辞を使って、自らのオリジナルな考えを伝えようとした。その後に、神智学的な流れがあったとするなら、Oshoはその流れを「利用」しようとしたことは間違いない。「利用」という言葉が悪ければ、その中に溶け込もうとした、といってもいいかもしれない。  それは、2500年サイクルのゴータマ・ブッタの流れに溶け込もうとしたOsho、という表現でもよいと思う。ただ「継承」とだけ言い放ってしまったのでは、Oshoの本質は見えないのではないか?  1970年代、20代の青年だった彼は、バグワン・シュリ・ラジニーシに弟子入りし、日本のラジニーシムーブメントの草分け的存在になる。p200  ここは星川(プラブッタ)について言及しているところだが、書物の種類によっては、いろいろな表現をしなくてはならないこともわかる。しかし、この本がエッセイ集のようなちょっと砕けた表現が許されるものならば、もっと微妙なニュアンスを書き出してほしいと思う。  「弟子入りし」とあるが、私には、彼は、弟子入りした、というよりも「コミューン入りした」といったほうが正しいような気がする。当時の1974年当時のプーナはとても魅惑的であったはずだ。Oshoが魅力的なら、そのコミューンも魅惑的であったはずなのだ。もちろん、Oshoの言葉もすばらしかった。ブッタ、サンガ、ダンマという三つの魅力があったとするなら、星川はまちがいなく、ブッタやダンマも見抜いたうえで、そのサンガの素晴らしさに圧倒されていたはずなのだ。だから、ここで「弟子入り」した、とだけ書かれてしまうと、私には、もっとちゃんと表現して、と言いたくなる。  また、「日本のラジニーシムーブメントの草分け的存在になる」というところだが、私はこの表現は好きだが、この「ラジニーシムーブメント」という表現は一般的ではないようだ。もし使うとすれば、それはある種のジョークとして使われているようだ。それと、もしムーブメントがあったとしても、それを星川が主体的に積極的に担ったわけではないことも明記しておくべきだと思う。  今夜は、私の勝手で、Oshoに関するところだけを抜書きして書いてみた。ここまで書いてなお思うことは、著者の博識さと学習能力、そして批判能力についてだ。彼はなぜOshoと出会いながら、その後も精神的遍歴をくり返すのだろうか。当たっていないことを願うが、私はこういうことを考えた。  青年は、自らのベストパートナーと出会うまで、数人の異性に恋をし、やがて一人の最愛の人と恋に落ちる、というパターンがあるとする。数人というのは、まぁ普通であろうし、他の何人かと出会うことによって、自らの最愛の人の価値もわかる。もちろん、数十人の人に恋する人もいるだろう。なかには48人のマドンナに恋をしないといけないフーテンの寅さんみたいな人もいるにちがいない。だけど、数百人とか数千人となったら、これは異常だ。私なら、適当なところで手を打つ(いえ別にうちの奥さんを適当にみつけたといっているつもりはありません・笑)。  私は、Oshoに出会って、あとは、もうほとんど、どこにも行くつもりはないのです。だけど他の人にそれを強要したこともないし、それをしたら間違っている。どこか別なところに行きたい人はいくだろうし、引き止めてもむだだろう。だけれども、私は、もうOshoで十分だ。十分過ぎる。私自身は、著者のようなグル探しはしたこともないし、これからもする必要はないと感じている。「マスター」と「弟子」に関係については、このブログでも、今後なにか書けるチャンスがあると思う。 <5>につづく

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