地球人スピリット・ジャーナル1.0

2007/12/05(水)08:10

アトランティスの暗号 <再読ii>

チェロキー(108)

<再読i>よりつづく 「アトランティスの暗号」  「アウトサイダー」以来、コリン・ウィルソンの視点は一貫しており、確かに、最近作のこの本は、彼の集大成ともいうべき位置にある一冊といえるだろう。 ペンと紙を駆使することによって、現代人は地球史上、最も複雑な文明を作りあげた。脳は瞬間的に計算する能力を失ったが、現代人はコンピューターを使ってこれを補うことができる。  これは極めて大きな短所がある---現代人の生活には、ほとんど強迫的ともいえる、狭く固定した集中力が必要だ---右脳の「鳥瞰」に対して、左脳の「虫瞰」といってもいいだろう。われわれは遮眼帯をつけた馬のようなものであり、鼻先より遠いところは見ることができないのだ。  そしてわれわれは「クローズアップ」に囚われすぎているために、現代文明は空前といえる自殺率、精神不安に曝されている---なぜなら「クローズアップ」はわれわれから意味を奪うからだ。それこそが精神の健康には最も欠かせないものなのに・・・。  ひと言でいえば、現代人は右脳人間にとっては当然の自由の感覚を喪失した。人間をひとつのロボットに格下げしてしまう世界に囚われ、鳥瞰する目を失ってしまったのだ。 p456 <再読i>での4つの疑問のうち、古代文明の存在、カレンダー技術の構築、はわかったとしても、地球人以外の生命体の存在、意志伝達方法については、まだ本書においてはまだ解明されていない。ただ、ウィルソンは、「あちら側」からのメッセージではなく、「こちら側」から「あちら側」への検索機能でいえば、シャーマニックな存在が大きいだろうとし、また、そこには薬物的効果がある植物などが影響を与えていただろうと推測する。瞑想にも言及している。 あるいは「地球人以外の生命体の存在」ということについては、「生命体」をどのように捉えるかだが、いわゆる肉体を持った人間という意味でない「存在」と人間が交流することはありえると見ている。 だがヨシはものごとの存在やエッセンスであるというだけではない。それは超感覚的な領域に独自の形で存在しており、この領域において常に両義的だ。つまり「似ているけど似ていない」「同じだが違う」。そして人間は、三つの部分から成っている。肉体、理性や言語と関連する社会的な自己、社会的でもなければ人間的でもない霊体だ。これは容易にほかのヨシと混じりあう。p261 聖数7とプレアデスの関係や、その他の幾何学や数理における神秘性について、本書においては多くのページが割かれている。細かい数字は単位が不明なこともあってあまり追いかけなかったが、いつかその関心が深まったら、また本書を<三読>するのもいいだろう。

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