地球人スピリット・ジャーナル1.0

2008/03/08(土)21:04

鈴木大拙

アンソロポロジー(108)

「鈴木大拙」 秋月龍眠 2004/4 講談社 文庫 266p  『鈴木大拙の言葉と思想』改題書 Vol.2 No.0009★★★☆☆ 龍眠の「眠」は正確には「王」偏に「民」だが、機種依存文字でアップできなかった。  アメリカに行けばもう参禅はできないというので、背水の陣をしいて坐禅に打ち込み、ついに二十八年の臘八接心のある日、山門を下ろうとして、「これだ」ということがあって初関を透過されました。このとき先生は、月明の中の松の巨木と、己れとの区別をまったく忘じつくした自己を自覚されました。参究五年の結実でした。  この「無字」透過の経験はさらに渡米の直後、「ひじ外に曲がらず」とう句に契当するに及んで真にその「根源」に徹せられました。それはまた、禅宗でいちばんポピュラーな本である『無門関』でいえば、その第一則「趙州無字」の考案から第二則「百丈野狐」の公案への徹底といってもよいでしょう。この時の体験を「忘想録」一編に草されて、日本の雑誌に投稿したといわれていますが、不幸なことにまだこの大拙伝にとって大事な雑誌のなんであるかを発見できません。p37  この部分をもってして、「これから私が話す人は光明を得た人として認められていない。彼を認める人がいなかったからだ。」というOshoの大拙評価の是非を問うことが妥当かどうかは私には分からない。ただ、この秋月の大拙伝の中でも、これ以上の大拙の「さとり」を表現しているところはなさそうなのだが。まぁ、この辺について、こだわりすぎるのは、当ブログのセンスではない。すくなくとも、その投稿したされる「日本の雑誌」はいまだに発見されていない、と理解していいのか。 あるとき、わたくしはこのことを西田哲学のもっとも正しい継承者と信じる務台理作先生にただしました。そのとき、先生はいわれた。  「それはなにもあなた一人の意見ではない。わたくしはそれを西田先生から直接きいた。西田先生はあるときわたくしに向かって、『務台君、きみは禅をやるなら”絶対矛盾的自己同一”を公案にしてやってもいいんだよ。一息に、”絶対矛盾的自己同一、絶対矛盾的自己同一”と純一に工夫してゆけば、きっと開ける時期がくる』とおっしゃったことがある」と。  わたくしがこの話を鈴木先生にしましたとき、先生はひじょうに喜ばれて、「そうか、任台さんがそういったか。そうだろう、そうだろう。それはたしかに西田君の真意であったにちがいないな」と、何度も何度もひとりでうなずかれました。p107  大拙と西田の生涯を通じた交流があったればこその逸話といえるか。 ちかごろ、妙にカトリックの人に禅に注目する人が多い。ボストンで『ゼン・キャソリシズム』という本が出ただろう。ケンタッキーにトーマス・モリタンという神父がいて、西田の哲学に興味をいだいている。アメリカにいたころ、わざわざ上司の許可を得てわたしにあいにきたこともある。きみにも見せようと思っていたが、せんだって送ってきた論文などなかなかおもしろい。「イースタン・ブディスト」にでも載せたらどうかと考えているところだ。 p119 大拙談  「禅キリスト教の誕生」を彷彿とさせる部分でもあり、『禅肉、禅骨』のポール・レップスや、『禅仏教』のクリスマス・ハンフリーズなどの動向も気になってくる。 そうだ、これからは「禅」も「華厳」も世界的に見てゆかねばならぬ。単に伝統だけではダメだというのだ。日本人もうっかりしておれんぞ。p117 大拙談 そうだね。たしかに禅者も、真宗のことをもっと勉強せんといかん。それはきみのいうとおりだ。真宗の人も禅のことを知らんので困るが・・・・・・。p126 大拙談  親鸞聖人には一面どうしても禅宗の悟りみたいなものがあったにきまっている。わしはそれはまちがいないと思う。その証拠の一つとして『恵信尼文書』の中の寛喜三年(1231)四月四日の病中の幻覚のところにある「まはさてあらん」という親鸞の言葉をあげることができる。わしはあれが親鸞の”か地一声”(悟りの瞬間に思わず出るひとこえ)だというのだ。 p167 大拙談 (ここの「か地一声」の「か」は「口」構えの中に「ヵ」)  後半には、ドラックカルチャーについて述べている部分もあったが、もちろん否定派的表現であるが、いずれにせよ、面白い展開とはなっていない。巻末には、大拙が秋月にむけて書いた私信の数々が公開されている。秋月も1999年に亡くなっている。  

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