地球人スピリット・ジャーナル1.0

2021/02/09(火)22:08

ノーマインド 永遠の花々 <1>

OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2(108)

  「ノーマインド 永遠の花々」 <1> Osho /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1994/10 壮神社 単行本 361p Vol.2 No.0039★★★★★★Osho最後のZENシリーズ目次   Osho最後のZENシリーズ28冊のうち、日本語訳があるのが6冊。この「ノーマインド」で、当ブログでもようやく全6冊を読むことになる。いろいろとエピソードにことかかないこの本であるが、まずは、ここを転記しておかねばなるまい。 ------------------------- 友よ、  経文に入る前に、ひとつ気が気でないことがあるので、まずそれについて語りたい。  インドの首相ラジブ・ガンディーは懸命になって中国との友好関係を築こうとしている。どうやらそれはうまく運んでいるようだ。別にラジブ・ガンディーを責めようというわけではない。インドや中国のような大きな国がいつまでも仇どうしでいるわけにはいかない。遅かれ早かれ、弱い方が譲歩することになる。  これはインドにとって二度目の敗北だ。一度目の敗北は、かつて中国の行ったインド領ヒマラヤの何千キロにもわたる侵略だ。当時インドはさほど強くなかったし、ことにヒマラヤの万年雪の中で戦う準備はなかった。  ラジブ・ガンディーの祖父でインドの初代首相だったジャワハラル・ネルーは、勝ち目のないのをよく承知しつつも戦った。そして敗れた。インドの軍隊はヒマラヤの雪に耐えられなかった。そんな場面をまったく想定したことがなかったから準備がなかったのだ。  中国はチベットを征服した。チベットは小さくて貧しい国だが、世界でもとりわけ重要な国だ。高い山々の上にあって、「世界の屋根」と呼ばれ、何世紀もの間すべてをひたすら瞑想に捧げてきた。こんな国はほかにない----これほど長いあいだ自己を知るという要求だけを守り続けてきた。軍隊もなければ、どこを侵略したこともなかった。そういう非文明的で野蛮な要求は持っていなかった。素朴な国ではあったが、最も開花した国だったと言えるだろう。  中国はチベットを侵略した。チベットには軍備も軍隊もなかった。中国は無力なチベット人を機関銃で押しつぶし、僧院を踏みにじった。チベットの政治・宗教両方の首長であったダライ・ラマは、インド領ヒマラヤにあるダラムサラに避難を余儀なくされた。以来彼は、ともに難を逃れた大勢のチベット人とともにそこに住んでいる。  世界中で誰ひとり非難の声すらあげなかったのは実に残念なことだ。今まで他国を侵略したこともなければ、侵略の意図すら見せなかった無垢な国を、力が弱いというだけで奪ってしまう。どうやら我々の文明なるものは、すべて単なる見せ掛けらしい。我々の語る自由とか独立はただの掛け声らしい。そればかりでなく誰も中国に抗議の声をあげない。つい先日もラジブ・ガンディーは言っている、「チベットは中国の内政問題だ」  どうやらジャングルの掟がいまだに世界を支配しているらしい。大きい魚が小さい魚を食べ続ける。誰も抗議しない。  インドと中国が友好関係を結ぶという情勢を見て、ダライ・ラマはインドを去るしたくを始めた。おそらく中国はまずダライ・ラマの引渡しを求めてくるだろう。それは必須の条件だ。中国は今までずっとそれを要求してきた-----「ダライ・ラマを北京に引き渡さない限り友好は不可能だ」  だがラジブ・ガンディーは何千キロにもおよぶインド領のことをすっかり忘れている。それもまた中国の内政問題なのか。だったらそのうちインド全体が中国の内政問題になってしまう!  人はまたそんなに弱腰ではいけない。私はダライ・ラマに言いたい----「ほかに行こうなどと考えてはいけない。世界のどこに行っても君に居場所はあるまい。誰だって世界最大級の国である中国を敵にまわしたくはない」  二年前にアメリカでさえも、ダライ・ラマに対する三週間のビザを発給しなかった。中国を刺激したくなかったからだ。  私はずっとブッダを愛してきた。またブッダを愛する者を愛してきた。だからダライ・ラマに対しても深い愛と尊敬を抱いている。そこで彼に忠告したい----。  この国を離れてはいけない。またチベットの元首、政治的首長になろうという要求は捨てなさい。実際、政治的首長になろうという願望を持つことは宗教者としてふさわしいことではない。そんな考えは捨て、ただの瞑想者になって、ブッダを愛することだ。そうすれば中国も引渡しを要求しないだろう。中国がそう要求するのも、君がチベットの首長にもどりたいと執拗に求めているせいだ。歳月は過ぎ去り、ガンジスを流れ下った水はおびただしい。それは無理な話だ、少なくとも君の生きている間は・・・・・。  だいたい君の要求こそまちがっている。チベットはもう君の手中にはない。君はそれをあきらめてしかるべきだった。権力に対する君の要求は政治的な要求だ。瞑想者とみなされている人間にとって、それは恥ずべきことだ。だからヒマラヤにとどまった方がいい。そうすれば誰も邪魔をしないだろう。その邪魔は君の内側から起こる。チベットをふたたび支配したいという君の欲望こそが問題だ。  そんなものはみな忘れてしまうのだ。そんな欲望を抱くのはひどく醜いことだ。非難されてもしかたがない。それがゴータマ・ブッダの唯一の教えだった。つまり、この世ではどんな要求も持ってはいけない。別の世界、神秘の世界は、いつでも扉を開こうとしている。なのに、君は幻のような権力を求めている。  つまりダライ・ラマは瞑想者ではないということだ。  君にはどこへも行ってほしくない。君にはダラムサラに美しい場所がある。だから内側へのと向かうのだ。いまこそ世に示してほしい----内的世界には外的世界よりもよほど貴いものがあるということを。もし君にそれができなかったら、いったい誰がそれをやる。  ひとたび彼がその欲望と要求を捨ててただの普通の人になれば、もう中国も手出ししなくなる。そうすれば彼もヒマラヤに住める----ヒマラヤに住むのは慣れたものだ。  ふたたび言うが、君に友好を求めるものは誰もいない。いったい君に何ができる。中国には巨大な力がある。だから君は世界のどこにも安住の地を得られないだろう。  世界は君の思っているほど文明化していない。力だけが迎えられるこの世界だ。力ある者が正しく、力なきものは誰にも相手されない。正しいか否かは関係ない。  私にはそれがひどく気にかかっていた。まず第一に、チベットは中国の内政問題ではない。しかもラジブ・ガンディーは何千キロにもおよぶヒマラヤの領土についてすっかり忘れて去っている。触れさえもしない。  また、特にダライ・ラマに言いたい。いわゆる「民主主義、独立、自由」などという論議にまどわされていけない。そんなものは存在しない----力ある者がただ口にしているだけだ。この世界はまだ何千年も遅れている。いまだにその心は野蛮なままだ。良くなったのは、家とか、道とか、科学技術ばかりで、人間はといえば・・・・今ほどひどかったことはかつてなかった! たとえば、原始的で野蛮な人間がいかに暴力的だったとしても、その手にミサイルとか、核兵器とか、原爆などはなかった。  人間は今も野蛮なままだ。近代的な服を着てはいるが、その心はまったく動物と変わるところがない。そういった野蛮なチンパンジーの手に核兵器が握られている。それはこの地球全体をいっさいの生命ものともに十分間で破壊し尽くしてしまう。  この野蛮な人間、このチンパンジーのたどり着いた最終地点がここだ。その先には自殺しかない。(中略)  ふたたび繰り返そう。ダライ・ラマはどこへ行く必要もない。今こそ君臨という外的な要求を捨て、内へと向かうときだ。君はどんどん年取っていくが、そのわりには成長していない。さあ、中へ入って、この世ならぬ王国を見つけるのだ。 p184   1989年1月2日 <第8話・・・・・真理に歴史はない>より  <2>へつづく

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