地球人スピリット・ジャーナル1.0

2009/02/02(月)10:04

インド・チベット真言密教の研究

環境心理学(108)

「インド・チベット真言密教の研究」 高田 仁覚 1978/03 密教学術振興会 541p Vol.2 No.297 ★★★☆☆  高野山も真言密教ももともとシュミじゃないのに、いきなりこんな高踏な書物を探してくること自体、ちょっと無理がありすぎるのだが、しかし、「 さらに深くチベットの歴史を知るための読書案内」にリストアップされている限り、ひととおり追っかけをしてみようと、奮闘中。おかげで、いろいろな図書館や書店を開発できて、副産物はいろいろあった。図書館の開架棚や、書店の新刊コーナーを見ているだけでは、このような書物にぶち当たることは、まずない。 「チベット」や「仏教」はとりえず、「チベット仏教」まではなんとか興味を維持できるとしても、「チベット密教」となるとややあやしくなり、「密教」や「曼荼羅」などとなると、もうお手上げ状態。好奇心を掻き立てて、野次馬根性をパワーアップしようとするのだが、そんな小手先では、これから先は進みそうにない。 この著作、かのリストの「ツォンカパの著作」の中に分類されており、「チベット密教」や「密教」というより、より「ツォンカパをもっと深く知りたい」と思わなければ、なかなか手は出ないだろう。あちこちフラフラばかりしている私とて、いつかは「ツォンカパを読みたい」という欲求が湧きあがってくるかもしれない。そんな時のために、ああ、あそこにはあんな本があるはずだ、という目安がついただけ、今回は上等としよう。 今回、いわゆるこのような「学術的」文献をみていて思ったが、実は、貸出カードを見ても、それほど活発に読まれている形跡はないようだ。貸出は1~2年に一度程度。もちろん館内の閲覧は記録されていないのでわからないが、それでも、それほど活発に利用されているとは思えない。 ところが実際は、内容はあちこちとても貴重で、たとえばネット上でこのような情報がキチンと検索できるとすれば、かなりのヒット数がカウントされるのではないかなぁ、と思った。すくなくとも、私は使ってみたい。 もともとこのような本は、著者の独自の考えというよりは、より多くの文献の積み重ねだから、著者の信用度によって、その情報の信ぴょう性も高まる。だからナニナニ学の権威などという学者さんは、このような難しい本を書くこと自体が、ひとつの仕事になっているのだろうし、乱雑に活用されることを、もともと望んではいないのかもしれない。 しかし、世はインターネット時代である。知の集積であるならば、個人でコツコツ時間をかける時代は終わったのではないだろうか。地理や歴史、文献学などは、もっともっとIT機器でグレードアップできるのではないか、と思う。この本も高野山大学の教授にして、図書館長となる人物によって書かれている。 ジャン・ノエル・ジャンヌネー の「Googleとの闘い」などを読むと、ものごとは、私が考えているほど、そんな簡単なものごではないようではある。このような書物を公開し、その周辺にまつわるプロフェッショナルな存在たちを蹴散らしておいて、Googleだけが広告収入を得る、というのは確かにおかしい。では、もっと利用しやすいようにCD一枚にでも落とし込んで販売してみるか、と思うが、それでは、本を買うとのとそれほどの違いはない。ページをめくるとの、ディスプレイでみるのとの違いしかない。 しかし、それでもなんだか、私個人はわだかまりが残る。もともと図書館は、大体が無料かほぼ無料に近いかたちで利用提供されている。もともとオープンでフリーなネット環境とは親和性が非常に高いと思う。「密教」やスピリチュアリティ関連では、完全にオープンにできない知の体系というものがあるのだろうから、全部がそうなればいいな、ということではない。可能な範囲でいいから、もっと活用されればいいのに、と思う。 もっとも、このような本を手にして初めてそんなことを感じているだけで、本当はすでにこの本に書かれているような内容は、ネット上に公開されているのかもしれない。まだまだ図書館もネットも活用方法を考えなくてはいけないな、と思わされた一冊。  本書は、ツォンカパ(宗喀巴)造『ガリム』(大真言道次第論)の第一、第二、第三および第四章を中心とした、インド・チベット真言密教の研究である。p1「はしがき」 いつか近いうちに、ツォンカパを体系的にとらえようとする意欲が湧きあがってくることを、自分自身に期待する。

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