地球人スピリット・ジャーナル1.0

2010/03/01(月)08:49

マズローの心理学

agarta-david(108)

「マズローの心理学」第三勢力 フランク・G・ゴーブル /小口忠彦 1972/09  産業能率大学出版部  単行本 295p   Vol.2 No.442 ★★★☆☆ この本をひさしぶりに開いて、小沢牧子 「『心の専門家』はいらない」2002を思い出した。彼女には続刊「心を商品化する社会」2004(共著)がある。彼女は「カローラ2」のコマーシャルソングを歌った小沢健二の母親だった。 86年当時、日本ではスクールカウンセラーという言葉は聞き慣れないものだった。95年当時、日本社会におけるカウンセラー派遣という言葉は、ごく一般化し始めた。2002年当時になると、心理職なんて要らない、という批判も噴出してきている。 フロイトやユングやマズローやアサギオリらが活躍した時代は遠いはるかな昔話になった。治療としての精神医学は、現在でも必要であることはまちがいない。メディカルコントロール化に置かれるべき病者はたしかにある。 21世紀における心理職は、きわめて不安定な立場にいまでもおかれている。特に日本社会においては、その必要性が叫ばれ、かなりの数の心理職が育成されているにもかかわらず、画期的に新展開を切り開くような状況は生まれていない。 マズローは、あるとき自分の動機づけ理論の欠陥に気づいた。彼の理論は、人類すべてが成長を志向しているのであれば、なぜこのように多くの人々が自分の可能性を発達させることができずにいるのか、ということを十分には説明できなかったのである。最近になって彼は自分の考えを具体化し、「挑戦」(刺激)を外的環境の予備条件として加えている。現在マズローは、逆説的ではあるが、人間には、成長や活動への傾向があるのと同時に、怠惰への傾向も本来備わっているのだ、と主張している。つまり休息、回復への要求である。しかし、それはまたエネルギーを貯えるために生理的反応、傾向でもある。p73  たしかに至高体験、自己実現のマズロー心理学は、魅力的ではあるが、人間だれもがいつまでも至高体験のまま自己実現状態にはない。むしろ、人間は、ありのまま、一生懸命だったり、グータラだったりする多面性がある。 もし、より多くの時間が、これらの健康な人々を助けるのに使われていたならば、マズローの仕事は、もっと社会に貢献することができたであろう。がもっぱら実際の病人の方に多くの時間が費やされ、残された少ない時間が、健康な人に使われていたにすぎなかった。カルフォルニアのビッグ・サーにあるエサーレン研究所をはじめとする、全国的な、一連の成長センターは、マズローの個人的な影響力とこの理論的方向づけが実を結んだものである。これらのセンターのどこでも、神経病的な人よりも健康な人の生活の改善に役立つことに大きな強調をおいている。129p  この辺あたりに、エサレンや一連のグロースセンターの意義が生まれてくる。 マズローはグループ・セラピィと個人セラピィの両者の結合したものが、最も有効な方法になるのではないかと考えた。p136  この方法は21世紀にセラピーにおいては一般的考え方になっているだろう。 人間の可能性への関心はウィリアム・ジェームズ以後衰退した。心理学は心理学的健康より精神病理のほうにより大きな関心をもっていた。1954年にガードナー・マーフィは「人間の可能性」を出版した。マズロー、カール・ロジャース、エーリッヒ・フロム、その他の人々の研究とともにこの本は人間の発達していない資源へ注意を再度喚起している。この新しい傾向の直接の成果として、カリフォルニアのビッグ・サーにあるエサレン研究所が設立された。1969年の終りまでには、90以上の成長センターが設立された。p242 なんとか、最近再開した「エスリンとアメリカの覚醒」読書につなげよう、と当ブログなりに涙ぐましい努力(笑)をしている。いずれにせよ、マズロー心理学の位置づけの重要さは確認した。

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