地球人スピリット・ジャーナル1.0

2009/03/14(土)23:36

クリシュナムルティ人と教え

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「クリシュナムルティ人と教え」 クリシュナムルティ・センター 1992/11 めるくまーる 単行本 221ページ Vol.2 No.492 ★★★★☆ クリシュナムルティって、いったいどんな人? どんな人がこの人の本を読むんだろう?っていう好奇心をちょっぴり満たしてくれる本。 自己の変容 松本恵一(塾経営)  30代の半ば、私はあることで苦しんでいた。何とかそこから逃れようとして、バグワン(ラジニーシ)の本を読み漁っていた。しかし、その苦しみと執着はどうにもならなかった。ある日、葛藤に疲れ果てた私は書店に行き、バグワンの本の隣にあった「真理の種子」をふと手にとった。それがクリシュナムルティとの出会いだった。p131 一般的にはやはり、書店における出会いが圧倒的に多いようだ。この方も「苦しみから逃れよう」としてOshoの本を読み漁っていたということだが・・・・・。個人的な体験でいえば、Oshoとの出会いは、本との出会いは始まりではあるが、ほんの始まりでしかない。 問題意識 → 本 → 瞑想 → グループセラピー → サニヤス → ワークに参加 → デボーティ ・・・・というプロセス経ていくのが、一般的なOsho体験のようである。もちろん、順不同であるし、ひとによってはバラツキがある。 気づきの深まり 臼井正俊(旅館経営)  当時の私は、朝から晩までラジニーシの講話録を読むことに夢中でした。そしてその中でしばしば目にするのが、グルジェフとクリシュナムルティの名でした。ラジニーシ自身はクリシュナムルティに対して、「彼の教えは全くの真理に他ならない。しかしの彼の下で光明を得た者は誰もいない」といった肯定とも否定ともとれる立場をとっていたと思います。この頃から私の心の中に、クリシュナムルティとはいったい誰なのだろう、セコハンのグルやマスター達に容赦なく中傷を下す、ラジニーシすら一目置く人物とは、いったいどんな人なのだろう、という興味がかすかに湧き始めていました。  そんなある日、書店でふと目についたのが、「クリシュナムルティの日記」でした。すぐに購入して一晩で読み尽くしてしまいました。うっとりするような自然描写、まるで詩のような美しい文章の流れ、それでいてその根底には非情なまでの厳しさ、真剣さ、そして深い優しさが感じられました。またそこには、神秘主義的な専門用語や、教義や、テクニックの解説は、一言も述べられてはいませんでした。それまで読んだ宗教書や経典の類とは、全く異質なものを感じました。何かとても大きなものに触れた思いがしたのを覚えています。 p191 当ブログも最終章に近づきつつありながら、クリシュナムルティとグルジェフを思い出して読み始めた。この方も「朝から晩まで」Osho本を読むことに夢中だったようだ。だが、私自身はそういうことはなかった。自分がOshoのもとに尋ねてサニヤシンになるまで、一冊しかOshoの本がなかったせいもあるが、むしろ、ワンセンテンスで十分だった。十分だったというのはすこし余裕がありすぎる。ワンセンテンス以上、読み進めることができなかったというほうが正しい。 クリシュナムルティーはマスターにつくな、というし、グルジェフはマスターがなければ真理には到達しえないという。いずれが本当かは知らないが、私はこの問題に悩んだことはない。私の体験は、こちらから選ぶという体験ではなくて、拉致された、というイメージのほうが強い。北朝鮮による若者の拉致事件が続発していた時代であり、たしかに拉致された人々と同じような年代であったが、もちろん、そのような意味合いの拉致ではない。 すべては、自分が選んだものであり、自分の選択でひとつひとつのプロセスを理解しながら歩んでいったのだが、むしろ必然であったとしかいいようがない。存在が最初からそう決めていたようなものだった。 しかし、リアリティはリアリティとして進行した。だから、マスターと弟子の関係というものは、自分が選ぶとか、その良しあしを考慮するものではなかった。すくなくとも私の場合は、すでに決まっていたのだ。おおげさな言い方をすれば、ずっと昔からそうなっていた、としかいいようがない。 この本には30数名の日本の一般人のクリシュナムルティ体験がつづられているとともに、クリシュナムルティの教えや生涯についてダイジェストされており、この本が発行された1992年当時においては、かなりまとまったガイドブックになっていたと思われる。出版社もめるくまーる社だ。 最近のエレクトロニクス科学、つまりコンピューターの技術の進歩は目を見張るものがあります。それこそ日進月歩です。この進歩の歩調は今後もずっと続くでしょう。特にアメリカと日本はそれぞれ最高の頭脳と巨額の資金を注ぎ込んでトップの座を守ろうとして競り合っています。p24 プライムローン崩壊の2008年の年末に、このような希望的観測の本を読んでいてもしかたないのだが、しかし、このような雰囲気の中でクリシュナムルティは次第に日本の社会に入り込んできた。 その他、遺伝子工学の問題があります。遺伝子の配列を変えて、生まれて来る人間を新しくつくり変えてしまうというのです。それこそ新しい神様の出現だとも言えそうです。遺伝子工学はまだ初歩的な段階にすぎないのですが、今後次々に未知の分野が解明されてゆくでしょう。p25 ヒトゲノムの二重らせん構造の解析が完了して久しい2008年である。まもなく2009年になろうとしているが、科学の進歩ほど、人間そのものは進歩しているのであろうか。 クリシュナムルティの生涯を語るのに神智学協会を度外視するわけにはゆかない。この協会は1875年にアメリカで設立されている。設立者はオルコットという南北戦争あがりの陸軍大佐であるが、協会の中心人物はむしろ最初から彼と一緒だったロシア系女性であるブラヴァッキーであった。設立当時オルコットは43歳、ブラバッキーは44歳である。p45 私たちが今日知っているクリシュナムルティとは、この協会から手を切ったあとの彼の言動であるが、彼を愛する人々は、もちろん、この過去があったことを、マイナスではなくプラスに評価していることが多い。クリシュナムルティの魅力の50%は、彼自身がなんと言おうと、この前半生にあることは間違いない。 夜になると少年クリシュナムルティはアストラル体となってレッドピーターと共にヒマラヤに飛んだ。ヒマラヤ山中に人間の姿をして何百年も住んでいたと言われたクートフーミ大師に会って人の生きる道の教えを乞うためである。帰って来た翌朝は必ず二人で昨夜学んできた教えを複習し合ったが、この出来事に対する二人の記憶には少しの違いもなかったという。レッドピーターの霊性は冴え切っていて、クリシュナムルティの過去生を探り、34生前まで遡ることが出来たほどであった。このアストラル体での旅では、クートフーミ大師の他に、ロード・マイトレーヤー、キリスト、仏陀などにも少年クリシュナは会うことが出来、彼等から直接の質問にも正確に答えることが出来て面目をほどこしている。彼の最初の著作だと言われる「大師のみ足のもとに」は、この当時書かれたものだと言われているが、神智学協会を通していまだに広く読まれている。もっとも、内容はさておいてその文体はレッド・ピーターのものと似ているとも評されるが、かなり補正されたものであるのは間違いあるまい。著者名はアルシオネになっているが、これはクリシュナムルティの過去生の名前である。p46 この辺の文章は、いわゆる科学論文や医者のカルテのように読まれるべきところではない。むしろ詩的に読まれるべきところであり、さらには、他者によって書かれている限り、まったく無視してかまわないはずである。もしこの点についてクリシュナムルティ本人が触れているところがあれば、その時は、そのところを精読し、瞑目して感触を味わってみよう。 Oshoはこの本はアニー・ベサントの手によるものだ、と断じている。さらには、マダム・ブラバッキーの本が秘教的デタラメであったしたら、このチベットのクートフーミ大師などの話は、ひとつの方便ということになる。チベット関連本や、チベット密教の本をひととおり読みすすめてきた当ブログとしては、クリシュナムルティやグルジェフが、秘教的方便としてどのよう形で利用したかを糾弾するよりは、むしろOshoがこのような方便に依拠しない形で自らの悟境を展開したことを再確認するところにとどめておこうと思う。 「神秘学概論」の巻末で解説の笠井叡は次のように述べている。 シュタイナーが90年後にどう改訂版を書くか、と問うよりも、読者は自らの霊聴にしたがって、個々の「神秘学概論」を生み出すべきなのであろう。p458 クリシュナムルティも、グルジェフも、このようなセンスで持って読まれ、「利用」されるべきなのである。それがまた科学的姿勢でもあると言える。もちろん、Osho本についても、このような態度で挑まれるべきである。しかしながら、幸か不幸か、Oshoはこれらの中で最も若い現代人であるばかりでなく、その人間観に秘教的ブルシットを基礎としていない、というところを確認すれば、今回の読書は十分役立ったということになろう。

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