戦友
古めかしい言い方だが、「戦友」が今日自ら逝ってしまった。朝7時、通夜は今日の夜、今その帰り。同じ業種で互いにライバル心持ちながら、それでも苦しいときは、話し合い、困っているときには助け合ってきた友人だった。「巨人の星」でいったら、ひゅうまと花形みたいな関係。仲はよいのだが、普段一緒に遊ぶことはめったになかった。だが一時はルームメイトになった時期もあった。それでも家にいるときですら会うことがないくらい、割り切った付き合い方をしていた。「よきライバル」とはこういう関係なんだ、と感じていた。入院してる間に電話があり、精神的にまいっているようだったので、病院にいくことを勧めた矢先のことだった。ぼくは涙もろいので、お通夜などではすぐ泣いてしまうほうだが、今回は悲しみよりももっと先にある感情があった。悔しかった。はらだだしかった。「何でもっと話してくれなかったのか」「いろんな方法があるのに、なぜ相談してくれなかったのか」心の中で、何回も「ばかやろう」といった。でも最後は「あっちでは、ゆっくり暮らせよ」といって別れててきた。顔を見るのはやめにした。違う世界でのんびりと生きていると信じて。商売では僕のほうが先に白旗を上げてしまったが、人生では僕があとになった。僕も人生に白旗を揚げたくなること、揚げてしまったことも実はあるが、今生きていて残されたものの気持ちがわかった。ぎりぎりまで生きるぞ、許される限り。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ちょっと前にacparentサンの記事で、give & giveというのがあったが、まさにそれを、実行されている人がいる。僕のブログの中でよく出てくる、不動産屋さんでです。今回も引越しの件で、1円の儲けにもならないのに、駆けずり回ってくれました。退院して、引越ししたら?とも思ってしまったが(ごめんなさい)、入院費で、金銭的に苦しいことを察して昨日も、差し入れをしてくれた。実際には「信用できる不動産屋さん」という結果を求めてやっているということをたまに口にすることはあるが、それだけでこんなにできるのだろうか。すごい人だと思う。とても正直で、何をするにも正攻法。情けは人のためならず、というがまさにこの言葉がぴったりの人だ。きちんと彼に戻ってきている。take は日々の行動の結果であって、決して最初から求めているわけではない。むしろgiveだけした数のほう何倍もあると思う。give & giveの人だと書いたが、本当の give & take のいい見本なのかもしれない。