「道化」の話
あるところに一人の少女がいました。 少女は、小さい頃に人間不信になってしまいました。 何があったかは、誰も知りません。 ただ、人が怖い。人に近付かれたくない。そんな毎日でした。 またあるところに一人の青年がいました。 青年は、自分の事が大嫌いで大嫌いで仕方ありませんでした。 何故かと人に聞かれると「何もかも中途半端だからさ」と言い、本当の事は言いませんでした。 青年は人が大好きでした。人が喜んでいるのを見ると、とても嬉しいのですが、照れ屋なのか、こっそりと微笑むだけでした。 人からは、道化と呼ばれていました。 ある時、人間不信の少女と道化の青年が出会いました。 少女は道化の青年をまじまじと見詰めたあと、距離を取りました。 青年は少女と話をしてみたくなりました。 少女は、青年に少しだけ話をしました。 青年は少女に興味を持ちました。 それから長い時間をかけて、少女と話をしました。 少女は決して心の扉を開くことはありませんでした。 やがて、少女は青年に人が嫌いなワケを話しました。 青年は話を聞いてから少女の人嫌いが直って欲しいと思うようになりました。 青年はさらに長い時間をかけて、少女の心に近付こうとしました。 程なくして青年は、少女のことが気になり始めました。 元々、気になっていたものとは違いました。 それが好きだという感情だと気づいた青年は考えました。 「気持ちに率直に・・・」 それからもっと長い時間、少女と青年は話を続けました。 徐々に人が嫌いじゃなくなった少女に青年は、こっそりと喜んでいました。 心の底から、楽しみ、時には怒り。 青年も少女もそうしたかったのかもしれません。 でもお互いに心のブレーキが掛かり、全てを曝け出すことはしませんでした。 心を持つものの虚しい特権。 少しずつ、少女の心はほぐれていました。 いつか人を好きになれるように。 青年は、そんな願いを描いていました。 ある日、少女のことが好きだという人が現れました。 少女は迷っていました。 青年は渡すまいとして考えを巡らせました。 ふと、ある事を思い出しました。 「自分が嫌いなヤツが人を好きになれるものか」何処かの詩人の言葉でした。 きっと、その人は自分のことを誇れるのだろう。少女に惜しみない愛情が注げるのだろう。 今の自分は少女を幸せにする事はもう出来ないだろう。それならば・・・・・・。 気持ちと裏腹の仮面を被った青年は言いました。 「あなたの好きな方に進みなさい」 そして、道化は悪い人を演じました。 少女は、青年のもとを去りました。 数年後、少女は幸せな家庭を築きました。 そこには、人嫌いの影はもう残っていませんでした。 そして、共に道化の青年の記憶も。 あるところに一人の道化がいました。 道化は人の喜ぶ姿を見るのが大好きでした。 その道化のことを覚えている人はいません。 迷ったときに現れて、少し喜ばせると影のように消えました。 あるところに一人の道化の青年がいました。 道化の名前は・・・・・・誰も知りません。