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いまだに数多くの議論を生んでいるダーウィン・進化論。
その議論のひとつとして、 「進化論は歴史教育や道徳教育にマイナス」 というものがある。 産経新聞からその種の議論について、ある記事の一部を抜粋してみよう。 ================================================ 進化論偏向は道徳教育にマイナス 日本の識者も主張 「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。 マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書や神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。 このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。 中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化を正当化する」と論じている。 (ソース) http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html ================================================ うーむ。 私自身の感覚では、人間の祖先がサルってむしろ感動的だけどな。 サルどころか、アメーバだったりするんだよ? それがこんなになるなんて、鳥肌が立つほど感動できる。 私たちの祖先がアメーバやサルだったりするほうが、 よっぽど、子どもたちに夢と希望を与えないか。 だってそれは、私たちが過去の限界を、 乗り越えることが出来る、ということを意味するからだ。 今は絶対に乗り越えられない限界に思えるものでも、 そのパラダイムを乗り越えることが出来る。 空を飛びたいと強く強く願う集団があれば、 何百万年後かに、羽が生えた人間が登場するかもしれない。 (それを人、と呼ぶかどうかは別として) 今それぞれの人が抱えている個人的問題や、 貧困・暴力・差別といった社会的問題だって、 なんか解決可能な気がしてくる。 だって、アメーバから人まで進化したんだから、 それに比べれば、ねえ。 そっちのほうがずうっとロマンがあるし、 人間の可能性を信じれることになる気がする。 ついでに、上記本文には、 >『神の創造した人間』という非科学的な神話は >人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任を >われわれに与える とあるけれど、 神話って、結構ミもフタもない話のオンパレードで、 私なんか神話を読むと、がっくりきちゃうこと多い。 日本国を産んだイザナミとイザナギの話なんて、 もう、トホホもいいところだ。 知らない方のためにあらすじを追うと、 愛する妻・イザナミを取り戻すため黄泉の国まで行ったイザナギ。 イザナミが、黄泉の国の王と相談してる間、 「絶対見ないでください」と言われる。 にもかかわらず、イザナミはその相談が終わるのを待ちきれず、 「ダメ」と言われてるにもかかわらず、覗いちゃうんである。 そこにあったのはウジがわいて雷神がまとわりつくイザナミの姿。 (当たり前だ、死んでで腐ってるんだから。) そしたら、それに驚いたイザナミは、妻から逃げ出すんである! おい、逃げんなよ!イザナギ!!!!!! 追いかけるイザナミであるが、イザナギはなんとか振り切る。 でもって、最後には現世に帰ってこられないよう、 あの世とこの世の入り口をでっかい岩でふさいでしまう。 そこで、あの世側に残されたイザナミが、腹いせに、 「お前の国の人間を一日1000人殺してやる」 と言って(神のくせに、大人気ない・・・)、 イザナギもイザナギで、謝ればいいものを売り言葉に買い言葉、 「だったら、一日1500人産ませるからいいもんねー」 と言い返したわけで(さらに、大人気ない・・・)、 つまり、これが日本人の死の起源、 この痴話喧嘩によって、日本人は死ぬことになったんである。 こんな二人が、「日本人の起源」である。 ・・・・ねぇ、この話のどこが、 「誰が日本人を作ったのかというロマン」 「人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与える」 話なわけ??? ある意味人間のトホホっぷりを突いてて面白いとは思うけど、 でもこれこそ「道徳教育上」問題じゃないの(w? 誤解してほしくないのだけど、 私は決して進化論が正しいとか、聖書や神話は嘘だとか 言ってるわけじゃない。 でも、聖書や神話には間違いなく 「ロマン」や「高貴さへの自覚と責任」という要素とは 相反するものが存在する。 上記のような論者は、本当は 「人は神に選ばれた生物である」という「選民思想」 を言いたいんでしょ? だったら、「ロマン」とか、耳触りのいい言葉を使わずに、 ズバッとそう書けばいいのに。 ま、私は「だってそもそも俺はお前たちとは違うんだから」 って感じで、自らの優越を示そうという精神こそ、 限りなく貧しいと思うけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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