ドレイドゥというユダヤ教の独楽と、ゲームに賭けるコインチョコをもらってきた。うちは親戚にも友達にもユダヤ教徒がいるので、そんなに変わったこととは思わなかったけど、駐在員の奥さんに「ジューイッシュて何?」と聞かれて、そういえば日本にいてユダヤ教の文化に触れる機会は皆無だったことに気づいた。でも今はベーグルがあるか。
前のオフィスで私が秘書をしていた社長(日系アメリカ人)は、かなりの人種主義者で、彼女にとって一番は当然「日本人」。昭和一桁生まれの彼女に係ると、中国人も韓国人も人間扱いにならない。公民権運動以前に渡米したので彼女にとっては黒人も同様。ユダヤ人には嫌悪する。彼女の美観?に背く「関西人」をアメリカ人に説明する際、「日本でのアメリカ人がユダヤ人に対するようなもの」と説明していた。思い返しても隣にいて困惑すること多々だったと思う。社長の同業者キャシーはグレッグ不在の時に来たお客を、グレッグが「どんな人だった」と聞いたとき、彼女は人種差別用語を決して使わず、「女の人」とだけ表現していたのを思い出す。社長だったら「デブの黒人女」と迷わず表現していたことだろう。「背が低い」とか「太った」とかの形容詞も差別感があってよっぽど親しい人の間の会話でしか使わない。
アメリカって直接的な表現を使っちゃいけないところがあって、語彙の少ない人には疲れるのよ。子供にしつけで「するな」と表現する時、私は当然直接「するな」というけど、それが旦那には粗野に聞こえるらしく我慢ならないらしい。婉曲表現で「ほらあそこに○○があるから、あれやってみたら」と言って、子供のやっていけないことから興味を逸らす的なテクニックを使わなければならないらしく、、、、できるか、そんなの。日本人の私が日本的なしつけをしてどこが悪い、と子育ては文化の壁ぶち当たり破りまくりです。
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最終更新日
2006年12月17日 06時42分51秒