テーマ:小説(31)
カテゴリ:黄昏微睡
― 藍の幕間 ―
幽冥門は、太極に十人いる冥界の裁判官である十王と、冥界を治める冥王と三判官がそれぞれ厳重に管理している門であり、緊急時やお互いの往来で使われる空間転移の門である。 その門は普段、対面した白と黒の二頭の龍が描かれた壁の模様でしかないのだが、門の管理者である十王や冥界の王の、呪と呼ばれる呪文とその身に宿す魔力に反応して開く仕組みになっており、紫微宮の幽冥門は、宮殿の中心に位置する本殿の最奥にある閻魔王・夜摩の執務室にあった。 閻魔王の執務室は、巻物や折本など膨大な数の書物が堆く積まれた書物庫のような場所だったが、周りを本で囲まれているせいかやや薄暗く、その奥まった場所に申し訳程度に置かれた重厚な机の真後ろにある壁に描かれた幽冥門は、主の発する呪と魔力に反応して本来の門の姿へと変貌していた。 「…………」 執務室に一人佇む閻魔王は、月光のように淡い光を放つ、龍をモチーフにした銀細工のように壮麗な幽冥門の扉を静かに見つめていたが、複数の気配が執務室の扉の向こう側に到着したのを感じ、扉の方へと振り返る。 次の瞬間、ノックの音の後に部下のテンキの声が扉の向こうから響いた。 「皆様をお連れしました」 「入りなさい」 夜摩の了承を得て扉が開き――テンキが先導するようにして入ってきたのは、碧霞元君の従者の十六夜と悠里を抱えた烙斬白紗、殿にスラオシャだった。部下が連れ立ってきた面子を見た夜摩は息を飲み、思わずつぶやいた。 「烙斬……」 死んだ妻の転生した魂が、先日の【蝕】の影響でこの太極に戻って来ているという報告は受けていたので、ここに彼女が連れて来られることは知っていたが、気を失っているらしい彼女を抱えている青年・烙斬白紗の姿を見た夜摩は、内心驚いていた。 「北斗星君、長らくの間ご無沙汰してしまい、申し訳ありません」 悠里を抱えたままだっだので、烙斬白紗は略式の礼をしながらいくつかある夜摩の通り名の一つを口にする。夜摩は烙斬白紗の謝罪の言葉を聞いて、頭を振った。 「烙斬白紗、謝ることはない。貴公の様子は、父上から時折聞いていたから。――しかし、貴方までここへいらっしゃるとは思いませんでした」 最後の言葉は、殿に続いてきたスラオシャに向けられたものだった。 「色々と番狂わせがあって、私も冥界へ向かうことになりました。――これも何かの縁なのでしょう」 「そうでしたか」 「ええ。事態は、我々が思っているよりも深刻かもしれません」 そう言いながらも、スラオシャは嫣然とした笑みを浮かべる。その笑みにつられるように、夜摩も笑みを浮かべる。それは苦笑の笑みだった。 「そうですね。七曜すべて稼働するなんて、そうそうあるもんじゃないですから」 「ええ、だからここでゆっくり立ち話も出来ない」 「残念です。――扉はすでにあちらと繋げてあります」 言いながら、夜摩は壁に現出した幽冥門の扉に手を添える。すると扉は音もなく壁の向こうへ開き――その向こう側には水鏡のような壁があった。 その水鏡にはこの書庫とは違う広間が映っており、向こう側で待ち受けているだろう人物の人影があった。 「ミノス様のところへつながっています。あちらも迎え入れる準備が出来たようですからいつでも渡れます」 「それでは僭越ながら、先に行かせてもらいますね」 言うや否やスラオシャは水鏡の壁へ近づき、右手で触れた。触れた瞬間、壁に吸い込まれるかのようにその姿は消え、水鏡の向こうへと移動した。 「意外とせっかちな人だね、スラオシャ様は」 いきなり向こう側へ行ってしまったので、呆気にとられた表情の夜摩がつぶやくと、「そのようですね」と烙斬白紗が苦笑した。 「こうなったらしょうがない」 そう言いながら、夜摩は言葉少なに控えていた十六夜の方を見遣る。 「殿は十六夜に務めてもらうよ。――いいね?」 「御意」 多羅の命に答えるのと同じように十六夜が答えるのを見ると、夜摩は烙斬白紗の腕の中の悠里を祈るように一瞬見つめ――烙斬白紗を見上げた。 「烙斬白紗、貴公が無事に彼女を送り届け、こちらへ無事に帰ってくることを願う」 「はい。――命に代えても必ず」 烙斬白紗は決意のこもった眼差しを夜摩に向けて答えると、扉を潜っていった。その後に続くように十六夜は夜摩に一礼すると扉の前へ移動する。 「十六夜」 「はい」 夜摩に呼び止められ、十六夜は振り返る。 「後は頼んだよ」 「御意」 十六夜は両手を組み合わせて拱手し、扉の向こうへ消えた。 「こんな風にまた君を見送ることになるなんて思わなかったよ」 ため息混じりにぽつりとつぶやいた夜摩は、扉の向こうへ移動した十六夜たちの気配が完全に消えたのを確認してから幽冥門の扉を閉じ、封印の呪を唱えた。 門はその呪に反応して、急速に光をなくしていく。 やがてそれは普段の姿へ――壁の模様へと戻って行った。 「…………」 夜摩が名残惜しそうに壁を見ていると、後ろに控えていたテンキから「お会いになっていれば、よかったのでは?」と、声がかかった。 その言葉の意味を悟り、夜摩は苦笑する。 「会って話していたら、きっと返したくなくなる。それに――」 魂を審議する十王の閻魔王自身が禁を犯してはいけないだろう? そう言って振り返った夜摩の顔は、笑い泣きのような表情だった。 「失言でした。申し訳ありません」 「いいよ。お前の言いたいことはわかるから」 気分を切り替えるように、夜摩はパンと両手で頬をたたくと、テンキを見た。 「テンキ」 「はい」 「冬輝を起こしてきてもらえないか?」 「御意」 閻魔王の仕事は、まだまだ山積している。 ≪ 続く ≫ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.08 14:20:40
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