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2012/05/31(木)21:26

沖縄、遠い自立-本土復帰40年(31日の日記)

政治問題(2275)

 今月のはじめは、沖縄の米軍基地の一部が返還されるとのニュースが流れて、久々に明るいニュースだと思ったのも束の間、確かに返還されるのではあるが、それは現在の基地の極極一部に過ぎないことが明らかになった。15日の東京新聞は、次のように報道している;  本土復帰から15日で40周年を迎えた沖縄。日米両政府は4月、在日米軍再編の一環で、難航する普天間飛行場(宜野湾市)移設と切り離し、沖縄本島中南部の五施設・区域を段階的に返還することで合意した。しかし、沖縄に喜びの声は少ない。基地負担の解消を待ち望む人たちの思いを現地で聞いた。 (富江直樹)  「ベトナム戦争の時、倉庫の屋根にまで軍事物資が野積みされていた。でも今は、がらんとしている」  那覇市のタクシー運転手赤嶺初一さん(67)は、米軍の補給基地「牧港補給地区」(浦添市、約274ヘクタール)の約40年前からの変わりようを話してくれた。フェンスに囲まれた広大な敷地に倉庫が立ち並ぶが、人影はほとんど見えない。  牧港などの五施設・区域は、日米両政府が2006年に返還で合意したが、パッケージの普天間飛行場の移設が進まず、たなざらしの状態だ。  中南部には人口が集中し、牧港は那覇空港に近い「一等地」。浦添商工会議所の湧川善充会頭(68)は「40年を経ても沖縄は自立できていない。牧港は新たな産業の拠点として最高の場所。早期返還を」と訴える。  日米両政府の合意では、5施設・区域は細分化し、3段階で返還される。ただ、普天間と切り離しても「速やかに」返還としたのは全体の数%。あとは県内の他の施設に機能を移せることが確定したり、海兵隊が国外に移転した後になる。牧港も大半が「後」だ。  それだけに、日米合意に対する地元住民の思いは複雑だ。  施設近くでホテルを営む金山恵子さん(60)は「少しでも返ってくる方がいい。まずは外堀からでしょ」と歓迎するが、浦添市軍用地等地主会の宮城国男会長(71)は「国は負担軽減をアピールしたいのだろうが、部分返還では困る」と話す。県などは全域の一括返還を前提に跡地利用計画を練っているからだ。  同じく返還対象となったキャンプ端慶覧。宜野湾市や北谷町にまたがる約600ヘクタールもの広大な施設だが、返還される最終的な面積は確定していない。  日米合意では、本島を南北に貫く国道58号から、やや東に奥まった西普天間地区約55ヘクタールが先行返還される。米軍向けの住宅群があるが、フェンス越しで見る限り、すべて空き家だ。  商業価値の高い58号沿いの返還は代替施設の提供後。宜野湾市の佐喜真淳市長は「国道沿いも含めた返還なら話は別なのだが…」と不満を隠さない。  野田佳彦首相は15日の復帰40周年式典で「基地負担軽減の目に見える具体的な成果につながっていく」と日米合意の意義を強調した。しかし、西普天間地区と普天間飛行場に挟まれた宜野湾市新城で質店を営む石川達也さん(49)もは「ずっと基地のある景色を見てきた。返還されて別の町になるなんて実感がわかない」と語った。 2012年5月16日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「沖縄 遠い自立」から引用  今回返還されるのは、図の赤い色をした部分だけである。返還されること自体は大変悦ばしいことであるが、これではまるで、掛け声倒れのようなものだ。できるだけ早く全面返還を目指して、世論を盛り上げていきたい。どうしても必要な基地であるというなら、本土も同じ負担を負うべきであるが、かつて本土では憲法9条を理由に米軍基地反対運動をしたのであるから、その論理は当然沖縄にも適用されるべきで、もともとわが国は、平和憲法の下、軍事力に頼らない安全保障を目指したのであるから、その論理を国民のものとして取り戻し、国家の意志であることを明確にするべきである。

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