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2015/10/15(木)11:58

米いいなりで暮らし大打撃(15日の日記)

政治問題(2275)

 80年代の初めに大統領に就任したロナルド・レーガンは、新自由主義政策を推し進めて富裕層と大企業に減税し軍事予算を増やすという政策をとったために、アメリカ政府は大きな財政赤字を抱えて債務国に転落しました。これではいけないと言うので、先進5か国を集めて会議を開き対策を打ち出したのが「プラザ合意」ですが、「合意」とは名ばかりの「アメリカ救済策」の押しつけで、その影響で日本の経済も打撃を受け、いまだに不況から抜け出せないでいると、9月20日の「しんぶん赤旗」のコラムが解説しています;  30年前の1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの5カ国財務相・中央銀行総裁会議(G5)が開かれました。そのときの合意を、会場の名前にちなんでプラザ合意と呼びます。  合意の主な内容は、 (1)対外不均衡の是正 (2)各国の市場自由化の促進 (3)為替相場の安定 (4)ドル相場の秩序ある低下への協カ- の4点です。  その背景には基軸通貨ドルの大暴落の危機がありました。81年に発足した米レーガン政権は新自由主義政策を進め、富裕層と大企業に減税し、軍事費を増やしました。その結果、経常収支赤字が拡大し、85年にはついに債務国に転落。ドルへの信頼が一気に失われていったのです。  そこで、主要国が協力して徐々にドル安に誘導し、安定させようというのがプラザ合意の大義名分です。形の上では「協力」でも、実質はアメリカの押しつけでした。アメリカは各国に低金利政策と金融グローバル化、市場開放を要求するとともに、自らの金融支配力を強めて投機資本主義を全面的に推進、自国の利益拡大を図りました。その破綻が2007年からの世界金融・経済危機となって表れたのです。  プラザ合意の標的は日本です。アメリカが、経常赤字の最大の原因は日本の貿易黒字だとみなしたからです。  そこで第一にアメリカが日本に押し付けたのはドル安円高です。これを受け、円は1ドル=240円台から120円台まで急騰、「円高不況」を招きました。大企業は円高対策として人減らし、下請け単価切り下げなどコスト削減を強行し、国民と中小業者が犠牲となりました。  第二は内需拡大を名目にした低金利政策の押しつけです。これにはドイツなども若干協力しましたが、最も忠実に従ったのは日本です。87年2月に日銀は公定歩合を当時最低の2・5%に引き下げ、地価や株価が高騰して日本経済はバブル化しました。90年初めからの株価暴落を起点にバブルが崩壊、以後は「失われた20年」などと呼ばれるようになりました。  第三は公共投資拡大や市場開放の押しつけです。日本はムダな公共事業を増やし、資本取引の自由化、大型店の立地規制緩和、労働者派遣法改悪などを進めました。  このため日本は、巨額の財政赤字、投機資本の支配力強化、貧困と格差の拡大、労働条件の悪化に見舞われました。経済の基盤である国民生活、中小企業、農林水産業が弱体化し、多国籍化した大企業のみが利益を得る体制となり、不況が長期化しているのです。  プラザ合意以降、日本はいっそう対米従属を強め、暮らしはますます苦しくなりました。今必要なのは、対米従属体制から脱即し、日本の自主性を取り戻すことです。そのためには、大もとにある日米安保条約を廃棄し、日米間の対等・平等の友好条約を結ぶべきです。これがプラザ合意30年の教訓です。 今宮謙二(いまみや・けんじ 中央大学名誉教授) 2015年9月20日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済これって何?-プラザ合意30年 米いいなりで暮らし大打撃」から引用  世の中には、基軸通貨を持つ国が財政赤字になるのは当然という理屈もあるそうですが、その理屈を考慮してもなお、米国政府の赤字は膨大で、その原因の大部分は「基軸通貨」のせいではなく、レーガン政権以降の「大企業・富裕層優遇政策」が理由であることは、この記事からも明らかです。

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