今までありがとう。お世話になりました。
「お別れのご挨拶」が増えてきました。
本帰国でもないし、時間がタップリある辞令でもないし
‘あら、ボブリン家がいつの間にか居なくなったわね'で良いや…
なんて、先月は思っていたのです。
でも友達から、キチンとお別れをすることの大切さを教えられ
どうしても…と有り難い連絡をくれる友達とは
お互いが許す限り、時間を作っています。
来たばかりの頃、他国に移動してしまっても、本帰国をしてしまっても
家族ぐるみのお付き合いを続ける方を見ては
すごいな~と思っていました。
ココで過ごした時間なんて、一生の間の数年のこと。
その後、文字通り‘遠く離れてしまっても’続けられる関係って
どんなものなのだろう…と思っていたのです。
でも、4年間の生活で、それがよく分かりました。
特に子供が小さい親子密接な時期を日本を出て過ごすと
同じように悩み苦しみ、戸惑いながら育児をして来た友達は
友達以上の、同士戦友のような気持ちになるのです。
頼れる親戚が身近に居ない分だけ、友達の子供の成長も
まるで我が子のように、すごく印象に残っています。
そしてやっぱり、ドイツ人の友達では、チェミラッセは別格です。
ボブリンを一緒に連れて帰る提案をしてくれたり
ママのニコルがさり気ない気遣いをしてくれ
送ってくれるメールを読むだけで、涙が出てきます。
今月に入って、チェミーはクラスの他の友達と遊ぶのを断っているそう。
「ボブリンはいなくなってしまうから、いっぱい遊んでおきたいbyチェミ」
これ聞いて、また泣けました。
初めて幼稚園で出会ったとき、オシャブリをした2歳でした。
ホントに小さくて、か弱くて、同じ背格好のトムトムを合わせた4人が
いつも幼稚園内でくっついて過ごしていました。
彼らに会うことが毎日楽しみで
彼らに会えない長期休みは退屈で
彼らと話すためにドイツ語がメキメキ上達し
彼らと過ごすことが、本当に当たり前の生活でした。
正直、チェミラッセと別れた後のボブリンを想像することは出来ません。
日本の友達とは、日本でまた会える。
でも、チェミラッセとは、欧州でしか会えない。
一番の課題は、ドイツ語環境から出てしまう今後も
いかにボブリンがチェミラッセと交流を続けられるのか。
コレを第一に考え、ボブリンには酷かもしれない選択をしました。
今までも大変だったけれど、これからも試練の日々は続きます。
幸いな事に、ドイツもドイツ語圏も近いので
1年に何度か定期的に会ったり
ドイツ語環境に身を置けるようにしていきたいです。