暴君に仕える
『第三は暴君型。 荀子は、身すぎ世すぎの便法として、一時的に暴君のようなトップに仕えざるを得ない場合もあるとして、次のように語っている。「そうした場合は、もっぱら相手の美点に目を付け、欠点には目をつぶることだ。成果を誉めてあげ、失敗には触れない。長所だけ語って、短所は口にしない。しかも、それをごく自然に演じて、わざとらしさを見せない方がよい」 また、「暴君に仕えるのは、カン馬に乗るようなものだ」として、カン馬を乗りこなす秘訣を、こう伝授している。 「うまく折り合いをつける必要はあるが、相手のペースに巻き込まれてはならない。大人しく仕えはしても、自分の信念を曲げてはならない。相手の言うことに決して逆らわないことだが、不正にだけは手を貸すべきではない」 逆らうな、しかし自分のペースを守れというのだ。暴君に仕えるのは、確かに難しい。荀子は、さらにこう続ける。 「もし相手の欠点を直したければ、相手の不安を利用すればよい。もし方針を変えさせたければ、相手の悩みを利用すればよい。また、君主としての心得を悟らせるには、相手の喜びを利用すればよい。取り巻きの小人どもを追い出すには、相手の怒りを利用すればよい。これが暴君を操縦する要諦である」 こういう言い方には、「性悪説」に立つ荀子の醒めた眼が感じられるが、それはまた、厳しい現実を生きる大人の知恵であるのだ。』(「中国古典の人間学」p278 守屋洋)欠点を直す ⇒相手の不安を利用方針を変えさせる ⇒相手の悩みを利用君主の心得を悟らせる ⇒相手の喜びを利用取り巻きの小人どもを追い出す ⇒相手の怒りを利用実に勉強になります。