やっぱり読書 おいのこぶみ

2016/01/03(日)21:26

男性作家が女性を描く

読書メモ(479)

まえにいちど、古典(明治・大正・昭和初期)の男性作家の女性描写が 男性の願望的女性像・都合のいい女性像に見えるのでなんだかなあ、 と感想を言ったことがある。ところが最近、吉田健一氏の文学エッセイ『文学人生案内』の冒頭 「文学に現われた男性像」をよんで目をひらかされた。その「文学に現われた男性像」冒頭部分(少し長いけど)「文学に現われた女性像」という風な記事は今までにもあったが、 男性の登場人物を何人か取り上げたものはまだないようである。 例外もあるが、小説に出て来る人物と言うと、 大概は女性が頭に浮かんで、これは、やはりこれにも例外はあるが、 小説の実際の主人公は男性である場合が多くて、 そうするとその男性は寧ろ小説そのものを代表するからに違いない。 小説から切り離して印象に残るものは、小説にとって男の人物程は重要でない。 またそれだけ自由な立場に置かれている女性だということになるのではないかと思う。 日本の現代小説では、何故か殊にその感じが強い。 武男さんより浪子さんであり、貫一よりもお宮が我々の関心を惹く。 併し理由はどうだろうと、 偶にはそういう風に虐げられている小説の男の登場人物を取りあげて見るのも、 一般の習慣を破るということだけでも、何かの参考になるかも知れない。と始まって森鴎外の『舞姫』では悲劇のエリスは名前を覚えられ同情されるが、 太田豊太郎という主人公はひどい男といわれ、エリスの可憐さはまし 太田は名前も忘れられがちになってしまう。けれども太田だって本気で恋愛したのだ。それでなぜ太田はすべてをささげずエリスを捨てたか 多くの男性のように太田は出世のためにそうしたというより 日本に連れ帰り、結婚するとしても学生の彼には養っていく手段がないからだと。ただそれが悲劇的になったのは社会の支持がない恋愛は破綻するのだという。吉田健一氏は書いていないが、そこには国際結婚の難しさもあったであろう。 などとわたしは太田豊太郎にむしろ同情してしまったよ(笑というように一見女性を描いて輝かしているような文学の 男性像を紐解いていく、なかなか味のあるエッセイであった森鴎外『雁』夏目漱石『坊ちゃん』志賀直哉『暗夜行路』武者小路実篤『友情』川端康成『雪国』横光利一『旅愁』小林多喜二『蟹工船』(えっ、と思ったけど)あと外国文学のシェイクスピア『ハムレット』モリエェル『守銭奴』スタンダール『赤と黒』ドストエフスキイ『罪と罰』フローベル『ボヴァリー夫人』モオパッサン『女の一生』ジイド『狭き門』ヘッセ『漂泊の人』ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』ほとんど読んでいるのでなおおもしろかった。 というよりこれから読んだ本の読後感を書くのが大変になった。

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