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テーマ:■南の島の過ごし方■(815)
カテゴリ:こころもよう
いつも、透き通った涼しげな声を聴かせてくれる鳥の名前が知りたくて、軒先に来ているところをそうっと観察する。 頭は青くて、おなかが赤い。 調べたら、「イソヒヨドリ」というのだそう。 島ではスズメのようによく見られる鳥なんだとか。 どうやら近くに巣があるようで、つがいで愉しげに鳴き交わす姿をたびたび見かける。 島には大きな虫がたくさんいるよ、と言われて、虫が苦手なわたしはとても怯えていたのだけれど、家の近所であまり見かけないのは、きっと、この鳥のおかげ。 ありがとう、イソヒヨドリ。 * 昨晩は、玄関先で初めてヤモリに会った。 虫は苦手だけど爬虫類はわりと好きなので、ヤモリが出ると聞いて楽しみにしていた。 トカゲは見たことがあるけど、ヤモリは初めて。 白く透き通って、きれいな体をしている。 触ったら、きっとひんやりして気持ちがいいだろう。 「家守」というくらいだから、家を守ってくれているにちがいない。 よろしくお願いします、とあいさつしたら、しゅるしゅると素早い動きで物陰に隠れてしまった。 けれど、今日は一日、外に出るたび同じヤモリに会ったから、たぶん新入りとして認められたんだろう。 * 「見るもの聞くもの、なんでも素敵!南国最高!ばんざい!」という観光客的ハイテンション期を過ぎて、 慣れない土地での暮らしに困難を感じる「抵抗」の時期に入った。 子どものころから、ひとつの土地に落ち着くことの少ない根なし草の人生なので、この感覚もいつものこと。 この時期を上手にやり過ごせば、やがて「適応」期に差しかかり、少しずつ生活のペースができてくる。 「抵抗」期は神経過敏になり、少しのことで腹が立ったり、悲しくなったり、自信を失ったりする。 * そんなとき、窓の外に、見上げるべき大きな空があると、本当に救われる。 雪国にいたときは、勝手口を開けると、息をのむような美しい夕焼けが見えた。 (思い出すだけでなつかしくて泣きたくなる。何かに抱きとめられるような、本当にきれいな空だった) そしてこの街の空は、海を抱いている。 くたびれても寂しくても落ち込んでも、少し車を走らせればそこに海がある、というのは、健全な心身をたもつためにすごく効果的だ。 ぽかんと口を開けて、海の蒼と、空の青を見比べていたら、あの詩のことばが思い浮かんだ。 空の青さをみつめていると わたしに帰るところがあるような気がする だが雲を通ってきた明るさは もはや空へは帰っていかない 谷川俊太郎「62のソネット」、41番。 たしか、以前にもこの詩のことをブログに書いたことがあったような…と探したら、7年前、くまと結婚して、雪国に引っ越したばかりの頃だった。 ☆2007年10月9日の日記 読み返したら、今と大して変わらないことを考え、変わりばえのしないことをやっているので、可笑しくなって笑ってしまった。 ということは、この島を離れるころ、わたしはきっとこの街を大好きになっていて、「離れたくないよう」と言ってまためそめそするんだろう。 そうやって、地球のあちこちに大好きな場所が増えていくのだとしたら、根なし草の暮らしもそうわるくない。 読書日記 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.22 22:28:52
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