母に感謝と陳謝
共済金詐欺のニュースを見て虐待事件を見ると母はウチに連れてきてくれたらと嘆いてたっけそこから次々思い出してきた年子でジタバタしてたから何かあるといつも助けてくれた大概コノを預ける事が多くてコノはお泊まりもできたけどコノが入院した時は夜の付添をしてくれて朝交代する時にみぃを連れ帰って家で見てくれて夜連れて来てくれて交代私には無理やな、、、孫居ないから大丈夫か( ̄▽ ̄;)私は小児喘息で秋の午前3時頃によく発作を起こしていたそうであんたのせいで今でも午前3時に目が覚めるとよく言われたけどそのせいで高血圧になったのかもしれないなそういえばずっとおばあちゃんべったりだったコノが実家の転居で歩いて行けるようになったのに母のマシンガントークについていけないと行かなくなり代わりにみぃが入り浸って昼寝して帰ってくるようになった熱を出したみぃを預かって貰いに自転車で行くと朝は急いでいるからか凄いスピードで帰りは疲れてるのかペダルが重くて大変だったと、思っていたら実はなだらかな坂だったと後で分かったある日突然もう来たらあかんと言われたとしょんぼりのみぃ今思うと認知症が始まっていたみたい認知症が進んで貯金を下ろせなくなってお小遣いをあげられなくなったとしょんぼりしていた姿孫達の生まれた年の硬貨を貯金していた瓶を見つけて嬉しそうにしてた姿みぃが東京へ行った後面倒見てくれてるコノにみぃやない子と言ったりみぃは東京行った、(一人暮らしして)偉いなぁなど何故かみぃの事は覚えていて生まれた時還暦で同じ干支だと喜んでたっけ祖母と母と私とみぃが30歳間隔で繋がったと途切れたのを母は知らない( ̄▽ ̄;)みぃが言うには亡くなった後はずっーとおばあちゃんに見守られてるらしい10年以上経っても、お寺に通ってても母の死は実感があまりない