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青空文庫で、『釜ケ崎』(武田麟太郎)を読む。
その一節。 > そして、もしも誰かが景気よくて(景気よくて!)すつかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘はれた時にも「酒の代りに飯をおごつてくれ」とは云へないものだ、と外套はしみじみ述懐した。それは一つには、虚栄心もあつたし、また折角相手が酒で愉快になつてゐる気分をぶちこはすに忍びないからであつた。だから、今夜のやうに酒だけで腹をこしらへてゐる時もある! > 「兄貴、酒おごらんか、は云へます、そやけど、云へまつか、めし一ぱい頼むとは」と彼が云へば、夜更けの酔払ひたちは口々に、「さうは云へん、云へんもんぢや」と、首を振るのであつた。 こちらは、1月16日付の茫茫録『臨時工』の一節。 > 三日の昼ごろにひとり帰ってきたさ、酒もって。けど、食い物は買ってきてないわけ。そいつ妙な顔してたっけがね。あんなに好きな酒がのめねんだもの。ふたりとも腹減りすぎてさ。 > そいつは金持ってるはずだども、食い物を頼むほど親しくないのさあ、同室でも。臨時工どうしはさ。 麟太郎は上の文章に続けて、これは貴族精神である、と書く。だとしたら、臨時工(わたしもそうだったのだが)氏の「親しくない」ということばは、かれのテレかくしだったのかもしれない。酒より飯をと言うことで、酒を買ってきた男の気分をだいなしにしたくないという思いやりの。 別の工場でやはり臨時工をやっていたときのことを書く。 30代のある年の冬、一ヶ月の契約で自動車部品の組み立てをやった。工場は、赤城おろしがまともに吹きつける農村にある。真冬の田園は、白茶けた、ただの荒野にすぎない。 工場のちかくに、6畳と3畳の二部屋のみという「一軒家」が、すくなからず朽ち残っていた。どの家からもそれだけはぴかぴかのステンレスの煙突がでている。風呂をあとからつけ足したのである。 小屋は口入屋の用意した寮だった。そこで4人が暮らすのだ。 なかの、40前とみえる男が名主的な存在だった。住んで1年ほどになるという初老の男が、自分が来たときにはすでにあの男がリーダー格で居た、と言う。もうひとりは20代の若い男だった。 正直に書く。わたしは自分を、他の3人とは違うのだと考えていた。困窮して来たわけじゃなく小遣い稼ぎであり、その気になればすぐにでも「一般社会」に復帰できるのだ、と。 その男はわたしの軽侮に気づいていた。わたしとはほとんど口をきかない。あるとき、なにかの拍子に感情を顕わにしたことがある。 「おまえなんか…」 そう言ったきり、かれはわたしを睨み続けた。 一ヶ月が過ぎた。給金を受け取り、現場で2,3回話をかわしたことのある男と呑みに出た。明日になれば東京へ戻るのだ。 夜おそく、いい気分で小屋に戻った。 部屋にはいると、わたしの布団に知らない男が寝ている。 「あなた、どなた」 「今日からここへ入るように言われて来たんだけど」 顔だけあげて男は答えた。 すると今日で臨時工契約の終わったわたしの、後釜なのだ。 「困りましたね」 そう言いながら男は、てこでも布団から出る気はないのである。 契約が終わるその夜に寮を出される可能性を考えもしなかった。わたしの甘さだ。他の3人との間に自ら置いた距離が、黒く広がっていくのが見える気がした。 だが、どうすればいい。わたしはもはやここにいないはずの人間なのだ。 駅に遠い村で、真冬の夜を戸外ですごせばどうなるか明らかだった。しかもわたしは酔っている。 そのとき、40前のあの男が舌打ちするのが聞こえた。 「これをつかえ」 そう言って布団を出るのである。 「はやく寝ろ!」 手早く電気を消し、かれは3畳間の炬燵にもぐりこんだ。 いい気なバカ(わたし)だ。それでも真に窮地におちいったとみるや、助けずにおれなかったのだな、かれは。 武田麟太郎は『釜ケ崎』で、そのような人びとを書きたかったのである。ときに「咽喉をつまらせ」ながら。 それにしても、恥ずかしいネ。わたしの幼さ、その浅薄さ(笑)。30代といえばもう大人だべ。まあ、耐えてヨタヨタと進みつづけるしかあるまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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