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英語圏のご婦人が話しかけてきた。店にいるときである。ところどころ理解できる単語と手の動きから推察するに
―このショッピングカートはすでにその役割を終えました。しかるにわたくしがその収納場所を見つけることは不可能です。 と、こう言っているのである。 わたしは答えた。 ―ユー、そのプレイスにカートを置きます。置く、置く…キープ・ザ・カート。ね、わかります?そして、エンドね、ユーキャンゴーホーム。わかるかな。わたしに預ける、預ける…イントラスト?ユー・イントラストね、ジスカートをツー・ミーよ。わかる? ご婦人はとうとうふきだしてしまった。 何日か前のテレビ番組で、あらゆることを記憶して忘れない男、というのをみた。 かれにたとえば、1952年の6月18日は何曜日か、なんて訊ねる。と、たちどころに答えて誤らない。すべてのカレンダーを記憶しているのである。八千冊におよぶ本の内容をことごとく記憶しているという。 ただし記憶を有機的によびおこすことができない。哀しいときに『生きるべきか、死すべきか』なんてセリフが浮かんだりはしないのである。十年前にみた小石の形もシェークスピアも、かれにあっては等価なのだな。いわば男は生きたハードディスクといえよう。 なにかの拍子にむかしを思い出して、ギャッ、と一声、頭を抱えてはいる穴をさがすなんてのは日常茶飯事だ、わたしは。だが、件の男のばあいは思い出すどころではない。すべてが現在のできごとなのだ。 忘却とは忘れさることなり、忘れえずして忘却を誓う心の哀しさよ、ってダレか言ってたな。ドラマのセリフだったけが。ともあれ男は、すべてを忘れえず忘却も誓えない。…そうとうにシンドイと思うね、これは。 語学というのは三日怠けると一週間分を忘れるそうである。三ヶ月もサボれば、ほぼ一年分が消えるものらしい。幾何級数的に忘却するのだ。であれば、わたしの英語力はとうの昔にゼロ、というより赤字になっている計算である。ときにひとさまの名前がでてこないのはそのせいだろう。赤字分を日本語で埋めているに違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.03.26 19:25:55
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