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釣れないときの釣り師は、あらぬことを口走るそうだ。
『カナダでは「オタワの奇跡」、アラスカでは「ナクネク河の恐怖」といわれたこのわたしがまるっきりのボウズなのだ。…地球はどうなっているのだろう』 そうボヤいたのは開高健である。 わたしは釣りをやらないが、ちかごろ妙なことを口走っている。 ―死ぬで、しまいに死ぬで ―イヤ。おまえはすでに死んでおるよ ―ああ!いい!うう!え?おお、おかしくもないわい ―おがあちゃん、カンニン。もうカンニンや ―あつ!#&*@§☆★! ―わしがなにしたちゅうねん。言うてみ、足 足が痛いのである。左足首にでた痛風の発作は治まった。するとあろうことか、こんどは右足首が痛み始めたのだ。さすがにいいコンビネーションだと感心するくらいのもんだネ。 痛みというのはたいしたもので、世界がこれを中心にまわるようになる。苦痛を避けることが最大の関心事になるのである。 外国の話だが、骨髄を損傷したために、片方の足の激痛が常態になった男があるそうだ。かれは医者になんども足の切断を要求したのだが、医者は認めない。ある夜、男は鉄路に痛む側の足を横たえた。体が列車に巻き込まれないよう鎖でガードに固定して待つ。やがて男の耳に近づく列車の汽笛が聴こえてきた…。 足の不自由な方にはお叱りを受けそうだが、この男の気持ちがすこしだけわかる。 痛風というのはどうも散文的なのであって、あまり同情していただけない。まあ、じぶんでもすこし滑稽な気がしているのも確かだが。若者の骨折というのがなんとはなしに微苦笑をさそうようなものだな。 もうすこしたつと、死ぬだの、おがあちゃんだのとわめきながら店にむかわねばならぬ。こういうときには月給取がうらやましいね。 愚痴に読めたらゴメンナサイ。愚痴なんです。おかげさまですこしだけ楽になったりすればいいのですがネ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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