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2020.09.30
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カテゴリ:カテゴリ未分類
前回、色蘊について
人間の身体
とあっさり書いてしまいましたが、物質や形態、有為法に属する物質的現象
さらには
(外界に存在する対象や)物自体というより
道教で陰の気に属し肉体の成育を司るとされる「魄」に近いと見る人もいます。
 
人が対象や自身の「形態」について認知した一次的情報に実体が無いとするなら
色即是空の一つの解釈として
相場とは騙しだ という言い方と良く似た意味で
物質界の見せかけに釣られる心の動き(に繋がる歪められた表層的情報)の不実な正体を喝破した言葉とも言える気がします。
 
 

また4ヵ月ほど前ですが5chという掲示板に
「色即是空の誤り」というタイトルのスレッドが立てられたそうです。その冒頭部に
色即是空の解釈として「有は無」というような話が書き込まれていたようですが、
有という解釈も変ですし、空を只の無と捉えるのこそ誤った解釈の典型例で論外だと思います。
また色即是無といった誤解も幼稚な誤訳からの逆輸入と言われ、
仏教は数学では無いので、即是を単純に等号として捉えるのも奇妙だと思います。
空の多様な解釈については先に行って再度論じる予定ですが、
これだけ低品質で冗談を通り越した只のデマみたいな逆宣伝的言辞の羅列は、
何か日本人の伝統的文化や宗教心を破壊しようとでもいった陰謀さえ疑いたくなるほどです。
また先に挙げた質問で3番目のkayさんへ質問者さんがコメントしてる中で
「心経は空と大乗仏教における菩薩のさとりについて説かれたお経」
「現代科学でもエネルギーと物質の上位階層にある何ものかを想定し始めている」
「ヤコブ・ベッケンシュタインが現代科学のトレンドを要約した記事では
科学者たちが"物理的世界は情報でできており、エネルギーと物質は副次的なものであるととらえる"ようになるとの示唆が含まれていて、
Eとmのより上位に位置づけるべきものとしての「情報」や
大乗仏教的に想像すると、一つには「一心縁起」とか考えられます」
「色蘊も原因と条件から成立し、何かの要素が少しでも欠ければその形にはなれなかった無実体な現象」と教えているのは結構鋭い。

2番目に回答されているzidさんは、
「玄奘三蔵法師が、般若心経を編纂するさい、物、物事への執着という意味で、「色」という漢字を使った」と
書いていますが、それの否定こそが、こうした般若経典の眼目でもあり、(恐らくは日本語に付着した多義性から)質問者さんが
性的なニュアンスを連想した気配的なものも、当然、物や形に含まれる筈だと思います。

あるいは人の五蘊において(色に纏わる無明から、物の働きかけによって受と想まで迷いに覆われた時、行・識へと発展し、さらに因果の連環によって)
執着を生じるメカニズムが問題にされているととれなくもありません。
そうした対象の虚妄と主観の本性を見抜き(執着を拒否し)、庫を開く智慧が、空の根っこにあると見れるのです。
だから色即是空とは、因果の道理に対する無知を晴らし、苦の因を滅ぼす観察と解釈する事も出来ると思います。
 
若い真面目な出家僧が性に纏わる煩わしき悩みを克服しようと
「女性の魅力などというのは幻であって実体無きものだ」と奮闘している様子は
微笑ましくもありますが、実際問題として、
「化粧品業界がビジネスとして成立し隆盛を極めたりしているのを考えると、性はつくられた幻想で、その想いじたいも実体の無いものである」
のは真実かも知れず、人は種や社会、家系等の存続のため、あえて文化の中に仕掛けとしての幻を組み込んで来たといえるかも知れません。

 
しかし仏教では、見えている通りに世界が有るとは捉えず、また空に偏った見方からも離れ、中道の立場をとります。
中道の中とは、中間でなく、二つの反対物から離れて矛盾対立を超える事で、道は実践方法を意味します。
また本来は不苦不楽の中道のことで、八正道を意味し、
快楽主義と苦行主義との偏った生活態度を離れ、それによって智慧を完成して涅槃のさとりに趣く道とされます。
初転法輪においてブッダは、二つの極端(①さまざまな対象に向かって愛欲快楽を求めること ②自ら肉体的な疲労消耗を追い求めること)
に近づいてはならない 
とし、次のように中道=八正道を説きました。
「比丘たち、如来はそれら両極端を避けた中道をはっきりと悟った。これは、人の眼を開き、理解を生じさせ、心の静けさ、すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃のために役だつものである。」
中観派における中道は、般若波羅蜜を根本的立場とし、すべての執着や分別のはからいを離れた無所得の在り方にあるとされます。
また法相宗では、非有非空の中道の真理を完全に顕した教えを中道了義教とし、〈有・空〉に偏る教えを不了義教としており、
天台では中道を空有不二や諸法実相としています。


もう一つの見方ですが、
たとえば脚気(かっけ)という病気を「色」と見るなら
「空」は、ビタミンBの欠乏を含む全ての因と条件を指していると見れます。
全ての原因が調和して結果を生むのですから、
病気になる原因が全て集まれば、病気の症状も顕われるし、
それらの原因が除かれれば、病気の症状も消え
健康な状態に戻る結果となります。
この解釈だと「色即是空 空即是色」も
しっくり来るし、
また受・想・行・識についても
それらに付随する執着という「病」や認知の歪みに関する因果の道理を示していると
観じるなら、辻褄も合うと思いました。
そのように色を結果と捉える解釈も面白いと思います。
そうすると、
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
の現代的訳としては、次のような例も挙げ得るでしょう。
(根本的には)
結果は原因と異ならず(一即一切) 原因と結果は同質なものとも呼べる(原因は既に結果を裡に含んでいる)
結果は根源から生じ 根源は結果を生じる

結論として
五蘊皆空について何が核心かと言うと、
そもそも「色」とは、
物質、肉体への執われのことを指しており
それが空だというのは、世界の本質としては、
対象にも、また執着する心にも実体は無いよ
ということを教えているのです。
ブッダは初転法輪で「五蘊取蘊は苦なり」と苦諦を説き、
また五蘊盛苦(一般に誰もが体験する四苦八苦の一つで、心身から生まれる苦しみ等の意)
という漢訳語も示す通り、
人間の五蘊というものは、放っておくと苦が次々に盛られる処であって、
その苦には原因がある。
その真理を集諦(じったい)と言いますが、詰まる所、その起源とは執着を持つこと(一般に三毒・煩悩、無明、根源的無知、愛執の念などとも言われます)で、
五蘊の一つである「色」についても同じという事なのです。








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最終更新日  2021.09.09 04:16:12
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