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2022年08月16日
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カテゴリ:つぶやき、ぼやき







お盆になると、故郷を思い出す。 

竹林をバックに抱えた我が家はもう無い。

故郷を出て 52年 あの頃の街並みは一変してしまっている。

「三丁目の夕日」世代だった私は昭和27年生まれ

どの家にも沢山の子供が居て、貧乏だが、家の中も町も賑やかだった。

お盆・正月は 子供達はわずかな小遣いをもらって、駄菓子屋に走り、

ビー玉を買ったり、くじ付きの菓子を買って、駄菓子屋の前の広場で遊んだ。

夕方暗くなるまで遊び・・家々から 煮炊きする夕餉の匂いがして来ると

みんな帰って行く・・・





 

食卓は野菜の煮物、魚屋で一番安く売られた魚が焼かれたりして

それに母親が漬けた季節の漬物が必ずあった。

タケノコが採れる季節は毎日タケノコばかり、
ダイコンが採れる季節もしかり

子供が飛びついて食べたくなるような献立は無い。

ふりかけなんてものも無かった。

子供が好きなのは「卵かけご飯」

朝学校に行くと、口の端に卵が乾燥して黄色くついてる同級生もいた

私の家は養鶏業を営んでいたので、同級生からよく言われてた

「いいな、お前は毎日卵ごはんが食べられるから」

毎日食べても嬉しいもんじゃ無い・・🥚








私の住む地域は田舎だったが、駅に近かったためか
それなりの街並みだったと思う。

お向かいは建具職人をしてるおじいさんとおばあさん、
その隣が、食料品を少し置いて、店内にテーブルとイスがあり、
仕事帰りのおじさん達が角打ち(冷や酒)して帰る。
我が家は卵を売ったり、鶏肉をさばいて売ってた。
我が家の隣は土建業
その他に駄菓子屋さん・味噌屋・魚屋・・歯科医院 etc
そして、大きな造り酒屋があった。
子供が遊ぶ大広場に・・時々 大きな酒樽が干される事があった。
今、思えば あの大広場は造り酒屋の土地だったんだな。
男の子達はその大樽の中に入り身体を大の字に手足を伸ばし
樽を大車輪のように転がして遊んでいた。

あの広場は 造り酒屋(従業員)の駐車場になり、
近所の家々もほとんど無くなって、違う人達が家を建てて住んでいる。

私の心の中には確かに 近所の家々があり、おじさん、おばさんの顔も浮かぶ
子供達も子供の頃のままの顔が浮かぶ・・
ゴム飛びした事や、隠れ家を作ったり、ビー玉遊びをしたり・・







保護者だった父母もとっくに彼岸の人・・私も歳をとった。
あの町で生まれて、育ち 泣いたり 笑ったり 喧嘩したり
18歳で家を出るまでのあの期間・・貧しかったけれど
今思えば 宝のようなひと時だったのかもしれません。

そんな宝のような想い出は 私の心の中にあるだけ・・
望郷

今年はコロナで故郷の墓参りが出来なかったので
ちょっと書いてみました。

人生が80~90年とするなら・・18年なんて、わずかな期間
でも、望郷を占める半分以上は その18年間に詰め込まれている
私の場合は・・です。


皆さんも 故郷をなつかしく思い出す事はありますか?


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最終更新日  2022年08月16日 00時54分12秒
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