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テーマ:今日のカンボジアって?(524)
カテゴリ:カンボジア論考
バンテアイスレイホテルのカンボジア人スタッフは今日ものんびりしていて、あまりストレスがないように見える。時々感じることがあるのだが、カンボジア人のほうが日本人より全体的に幸福なのではないか、と思うことがある。あの貧しいはずのカンボジア人が、あのリッチなはずの日本人より、である。確かに、カンボジア人は仕事がなかったり、給料が少なかったりして、ずいぶんと貧しいはずなのだが、カンボジア人が苦悩の末に自殺した、という話は日本ほど聞かない。
もちろん、どうしようもなく貧しくて不幸な人もいるし、ポルポト政権下の圧政に苦しんだある人々は今もなおPTSDなどの障害が残る。カンボジア人は結婚式を挙げても籍を入れない人が多いので、簡単に離婚させられて路頭に迷う年取った女性も大勢いる。家庭内暴力も多いし、親の言うことを聞かない子どももいる。それでも、私が思うに、カンボジア人は全体的に見て、貧しくても幸福な(サバーイな)人たちに見えるのだ。少なくとも、日本人よりは、である。 自分がそう思う理由については自分でもはっきりとは説明する根拠がまだ見い出せていないので、なんとなくそう思っているだけで、この考えは間違っているかもしれない。でも、日本人が失ってしまった何かをカンボジア人が持っているように思えてくることがある。このあたりはぜひ、長年カンボジアに暮らしている倉田さんの意見も聞いてみたい。 私の意見では、あまり多くのことに縛られていない彼らの生活は、きわめてシンプル。さらに、仕事もきつくないし、対人関係で悩むこともそれほどない。将来のこともそれほど深く考えていない。それゆえに、思い煩いがほとんどないので、たとえ貧しくても、ストレスがない。おまけに、隣近所のほとんどの人が貧しいので、自分が貧しくても気にならない。しかも、貧しい、貧しいと言って、家でやることもなくごろごろしている人たちに限って、飢え死になどしない。(実際には飢え死にしそうな人もいます)つまりなんとかやっていけてるわけだ。 そしてさらに重要なことに、多くのカンボジア人は暇だから家族と過ごす時間がとても長い。食事も一緒に食べている光景もよく目にする。だから家族の絆が強いように思える。これらを総合して考えると、カンボジア人は「日本人より幸福なんじゃない?」と思えてしまうのだ。まあそもそも日本人とカンボジア人を比較するのもナンセンスなんだけれど。 ところで話は変わって、今日のシェムリアップの天気は曇りのち晴れで、雨が降らなかった。比較的涼しく、快適に過ごせた。そこで意を決し、夕方、アンコールワットの写真を撮りに行った。いつもは観光客がよく通る道を通ってアンコールワットをバイクで見に行くのだが、今日はあまり人が行かないルートで行くことにした。 アンコールワットの横からの写真。 アンコールワットの第三回廊への階段。 帰る途中、アンコールワットのお堀のところにサル発見。 午後6時ごろの夕日。2,3日ぶりに雲の合い間に夕日が見えた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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