金をくれるなら同情してくれ
同情という言葉のイメージが悪くなったのはいつからだろう。俺はこの言葉の素晴らしさの復権を支持する者っす。やっぱ野島さんが悪かったのかな~w「同情するなら金をくれ」って流行語で、同情という言葉の価値が急激に下がった。友人や知人に悲しい事態がおとづれた時、同じ気持ちになっていっしょに悲しんであげる。これが同情だと思うっす。もちろんまったく同じ気持ちになんてなれっこない。だけど、相手の立場に最大限近づこうとする事は素晴らしい行為だと思うっす。「君の苦しい事態には同情するよ」「同情なんていらない!」じゃ、金でもくれというのだろうか。確かに同情という行為には、自分を良く思われようとする偽善的な部分も見え隠れする。でも悲しい目にあってるからひねくれてしまっているだけだと思う。-半年以内に死ぬ事が決まった癌患者。-結婚式の直前にフィアンセに逃げられてしまった男(女)。-死ぬ思いで借りてきた資金を社員に持ち逃げされてしまった社長。-誰かを守るために、両手両足を失ってしまった兵士。-さらにこれらが、全て同時に起こってしまった人。あ~まるで自分の事を書いているみたいだwwたしかに、あまりにかけ離れた不幸にあった人には、同じ気持ちになる事なんて困難だし、かける言葉も見つからないかもしれない。こんな目にあったら絶対にひねくれてるし、ヘタに声かけたら噛み付かれそうだしねw俺はどのグループにいても、常にずばぬけた最年長なので、俺が慰める事があっても俺を慰める事なんて誰も怖くてできない。ま~好きで歳とったわけでもないけどね。大人の癖に落ち込むななんて言ってる10代や20代を見ると、マジ腹立つ。お前らだってすぐおっさんやおばさん、じじぃやばばぁになるんだぞ。俺の不幸への興味だけで、声をかけてきた人もいた。最初はありがたかったけど、途中からただの興味だけなんだなとわかってしまう。そうゆうつもりないんだろうけどね。でも他人の不幸は蜜の味ってのも本当だからな~。しょうがないっす。でも、何があったか知らないけど、がんばって、信じてると言ってくれた人がたくさんいた。これはありがたい同情っす。ひねくれている場合じゃない。こんな人たちが、遠くにいるだけで少し思いなおせる。寂しいのは俺だけじゃないし、苦しいのも俺だけじゃない。だから立ち上がるためには自分自身が動くしか、変わるしかない。昨日も、思いもよらぬ人から声をかけられた。別にそれほど深い交流があったわけでもない人なのだけど、そして俺よりはるかに年下の子なのだけど、ただ心配してくれた。心の底からありがたかった。まぎれもなく”人の情が目にしみる”自分自身に関してただひとつ言えるのは、こうしてくよくよしているのは間違いなく時間の無駄だという事だ。俺は長生きするために生まれてきたわけじゃない。自分の命を削って輝くために生まれてきたんだ。その事だけを、俺の全細胞が思い出せれば、残りわずかな期間を燃え上がらせる事もできるのだが、だけど、どうしても今日も前に出れない。支離滅裂でごめんね。でもこの支離滅裂が今の俺。