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文の文

文の文

迷子の道しるべ・28

小説
at 2007 06/26 07:24 編集

うまい小説を読みすぎると
書けなくなる。

かといって
読まなすぎると
小説の按配がわからない。

いずれ小説は
ひとを書くものだ。
そこで
ひとに対する
自分自身のスタンスが
現れてくるわけだ。
そこがオリジナルなのだ。

言葉をいくら仕入れても
おっつかないこともある。

痛い目にあったことや
そこで救われたことや
息も絶え絶えになりながら
考えに考えたこと
そんなことが
めぐりめぐって
自分の小説に帰ってくるのかもしれない。

なんてしんどくなると
思ったりする。





金曜の夜に
at 2007 06/19 01:23 編集

夜の山の手線に印度人と思しき人がいた。
そんなふうな文字の冊子を読んでいた。

そのひとの隣りに若い女の子がいた。
すこしばかりぽーっとした感じに見えた。
酔っていたのかもしれない。

印度人は女の子のほうをむいて
なにやら話しかける。
女の子はぽーっとしたまま
ちょっと唇の端をあげる。

印度人はなおも話しかけたそうな顔つきだが
女の子はぽーっとしてノッてこない。

と、次の駅で女の子が降りた。
印度人はすわったままだった。
あれ、連れじゃなかったのか、と思う。

反対側の隣りがわたしの立っている前で
その次の駅で空いたので座った。
印度人がなにか言ってくるかしら
それは英語かしら
片言の日本語かしら
なんて思っていると
印度人は席を立とうとした。

その瞬間膝の上のアタッシュケースの口があいて
中身が落ちそうになった。
顔色の変化はわからなかったが
おっ!という少々うろたえた声が聞こえた。

なんとかことなきを得て、席をたった印度人。
降りるのかと思うとそうではなく
後ろのほうへ歩いていくのだった。

ううむ、それはどういうことかなあ。
若い女の子のそばがいいってことかなあ。
金曜の夜はそんな気分なのかなあ。
わからんですね。




星の王子さまと私
at 2007 06/12 09:08 編集

たいせつなものは
目には見えないのさ。

そんなキツネの言葉が好きだと
高校時代の文集に書いた。

いつかたいせつなものを
見られるこころを
自分も持つことが出来るのだと
どこかで夢見ていたのだろうが
それから時間は30数年もたっているのに

やっぱり今も同じ言葉に感動し
いつかは・・と思っているのに気づいて
やれやれだな、と思ったりする。

たいせつなものが見えないままに
生きてきたのかと
愕然としたりする。




仕事
at 2007 06/08 08:08 編集

山梨の町工場の社長であるおじさんが
地雷除去のものすごいショベルカーを
自前でこさえて
そいつをもって海外、
カンボジアやニカラグアの地雷を
処理しているって
はじめて知った。

かつて、地雷被害を嘆く
カンボジアのおばあさんに
どうか助けてくださいといわれた言葉が
ずっと胸の奥にあるのだと聞いて
唸る。

その重機は地雷を爆発させて処理するのだが
対戦車用の地雷の爆発の衝撃で
この社長さんの鼓膜は破れ
今も聞こえないのだという。

胸が熱くなる。
ひたひたと満ちてくるものがある。

平和は座して語るものではないのだと
思ったりする。







時代
at 2007 06/07 08:26 編集

6つしか参加していないリーグに優勝した
輝かしい未来を背負った王子がいる大学の
にぎやかな祝賀パレードについて練り歩く
大勢のひとびとを見ながら
このひとたちは
年金問題のために
輝かしい未来のない大人のために
デモとかするだろうか?と考えた。
 
若者が世の中を憂い
自分たちの力で変えていこうとしたのは
いったいいつの時代の話だったのだろう。



しゃあないなあ
at 2007 06/05 23:58 編集

人生は
「しゃあないなあ」
で満ちている
としばしば思う。

「しゃあないなあ」
と呟いて
抗わず
受け入れる。

そいつが知恵だ。





目撃(5月27日付け)
at 2007 06/02 02:06 編集

スーパーの前をバイクが通りかかった。
男性が乗っている。

男性は何か怒鳴っている。
よく通るものすごく大きな声だ。

バイクを降りてきたひとは
太った30代前半という感じのひとだった。
言葉の選びかたが少し幼い感じもした。

「おいおい、どうなってるんだ。
そんなところに自転車を止めちゃあ
いけないだろう。
そこはバイクを止めるだ。
いったい誰がそんなところに止めるんだ。
もう腹がたつ。
もうぶっちゃけてやる」

そのひとはその言葉の通り
自転車を抱えてほおり投げた。

そしてそのまま
「店長、店長」と大声を上げて
店内に入り、事情を説明してから
店内を見回し
「いったいどこのどいつが止めたんだ。
出て来いよ。成敗してやる」
と挑むように怒鳴った。

店長が頭を下げつつ
まあまあとりなしているところへ
若い夫婦がやってきて、旦那のほうが
「あんたのバイク、路上に止めてるほうが
迷惑なんじゃないの」
と言った。

すると男性はまた怒って
「まだわからないのか
ここの自転車が止めてあるから
いけないだろうが」
と叫ぶ。

それを聞いて奥さんが
「あんたが一番利己主義なんじゃないの」
と決め付けて去って行く。

「なにをー」という男性を
店長が止めた。

そこへパトカーが通り過ぎていき
なんだかあたりは静になったのだった。

そこで緊張が解けて
はーとため息をついて
わたしはそこを去った。


今日の言葉
at 2007 07/29 02:41 編集


「物事は両面から見る。
それでは平凡な答えが出るにすぎず
智恵は湧いてこない。
いまひとつ、とんでもない角度
――つまり天の角度から見下ろすか、
虚空の一点を設定してそこから見下ろすか
どちらかしてみれば
問題はずいぶんかわってくる」

と書いたのは司馬さんで
このとんでもない角度って
すごいことだと感じ入る。

超上から目線だなあって。





今日の言葉
at 2007 07/28 02:37 編集

「西洋社会は「思弁と論証」を重視し、
東洋社会は「体認と感応」を重視してきた。

西洋的論理にはこの体認と感応が入ってこない。
そのため、そこに気がついた20世紀後半の西洋の知識人は
やたらに“感性”“感覚”や“心理”を浮上させようとしてきたのだが
これが大きな誤りを引き起こす原因になった。(略)

東洋は論理も思弁も体認も感応も、
最初っから「気」のなかにとりこんでいる」

謝遐齢さんのお言葉(千夜千冊より)

ことさらに“感性”“感覚”や“心理”に
価値観を持たせるってことに違和感があったのは
そういうことなのかなと思う



今日の言葉
at 2007 07/27 01:19 編集



「何も言わないこと以上に
たいせつなことを言う方法がないときがある」

詩人の長田弘さんのお言葉。

そう、そんなときもある。



がんばれ!
at 2007 07/21 11:12 編集

小説教室の提出作品が出来ない。
今回の提出期限が過ぎてしまった。

なににかまけていたのか、時間が足りない。

短編連作の回が進んでくると
おもしろいように話が進むときと
まったく進まないときがある。

そう、今日のように
ぴたっと言葉が凪いでしまう。

今まで生き生きとしていた主人公たちが
知らない間に博多人形のように
固まってしまって動こうとしない。

なんでー?と言って答えてくれるひともなく
ああ、どうすべーと頭を抱えている。

いやあ、こんなときは自分の底の浅さを実感する。

こんな自分に小説なんて無謀なことだったんだあと
一瞬落ち込んでしまう。

落ち込んだ頭で
自分の作文を読み直す。

と、なんだかものすごくうまく感じてしまう。
自分がこんなの書いてたのかあと
驚いたりもする。

なんか、えらいじゃん、自分、と思う。

なにがあっても書いてきたじゃん。
やめないで書いてきたじゃん。

今はへたっぴぃでも
いつかそうじゃなくなるかもしれないから
だから書いていこう。

自分の作文の余白に
そんな励ましを見つけて
また頑張ろうとおもったりもする。





アサッテの人
at 2007 07/19 00:17 編集

アサッテの人
読み始めるがなかなか読み進まない。
叔父さんの荷物の整理のところで止まっている。

こういう構成、ありなのかあ、
と驚く。ポンパ!ですって?

なんだか複雑難解だなあと思って
投げ出しそうになる。
なにしろ読解力がないうえに
根気もない。

が、これは小説教室の課題図書なので
そうもいかず、苦肉の策で音読してみた。

するとこれがなんともするする読みやすい。
文章のリズムがいい感じ。
口調がいいって感じ。

なるほど、てだれのひとが
構成で冒険してるのかもしれんな、
と冒頭の部分でそんなことを思っている。





百鬼夜行抄 
at 2007 07/18 01:39 編集

百鬼夜行抄 文庫で789巻を読む。
字が小さくてかなわないが
おもしろい。

開さんが帰ってきて、いい味だし
晶と三郎のことも・・・

不思議な物語の底に流れる
人間の心のかたちを
追いかけていくと
なんともせつなくなる。

生きて今あることの向こう側に
なにがあるのかと
考えることも
精神的家出のようなものかもしれないなあ。





一日は一日
at 2007 07/08 06:33 編集

気がつくと一年の半分が過ぎていて
何してるんだあと唸りたくなる。

しかし、どんな日もおなじ24時間で
どんな日にも一日は一日。

嘆くばかりが能じゃない。

いやあ、なんともならない
ひどい状態だけど
そこですごす一日を
なんとか快適に
していくしかないじゃないの。



やりすごそう
at 2007 07/01 02:41 編集

なんともやる気のでない日々を
なんとかやりすごそう。

そんなことはこれまでにも
やまほどあったのだから。

つらいことだって
せつないことだって
やまほどあったのだから。

生きているんだからさ
いろいろあるさ。

そんな言葉をおまじないのように唱えて
さあ、今日も一日
なんとかやりすごそう。


カケラ
at 2007 08/29 14:33 編集

胸の奥の奥に
少年少女のカケラを抱いているひとが
わたしはすきです。

幼いとか未熟とかいうのではなく
ときに濁るおとなの目に刺さるカケラ

分別でものを語ると
チクンとこころを刺すカケラ

すきなもの、すきなひとにであうと
輝いて熱を帯びるカケラ

そんなひとに出会うと
カラータイマーのように
カケラが光りだします。

こんなの理屈じゃないものね。
反論されても反論できないんだけど
カケラのあるひとは
反論しないんだよね。






8月25日に生まれて
at 2007 08/26 00:30 編集

53歳になりました。
長生きしてます。


8月25日という日は・・・

ラーメン記念日(日清食品)、サマークリスマス

▲M8.4の地震によって津波が発生。浜名湖、海続きに(1498)
▲ポルトガル船、種子島に漂着。鉄砲伝来(1543)
▲柄井川柳、万句合せ興行(1757)
▲北里柴三郎ペスト菌を発見(1894)
▲世界初の空中戦。英国陸軍航空隊、仏・ベルギー軍とともに、独軍と
 初交戦(1914)
▲トヨタ、設立(1937)
▲パリ解放。4年間にわたるドイツの占領に終止符(1944)
▲日清食品、即席チキンラーメン発売。当初は85グラム入り1袋35円で、
 すぐに30円に値下げ(1958)
▲ローマ・オリンピック開催(1960)

なるほどなるほど。






ミーハー
at 2007 08/24 08:11 編集

たとえば友人が
芥川龍之介の孫と遊んでた、だとか

その友人の叔父さんが
菊五郎と同級生だったとか

知人の曾祖父のところへ
6代目の菊五郎が毎年お年始にきて
封筒が立つほどのお金をもらっていったとか

友人のおじさんが
岩井半四郎を殴って泣かせていただとか

へえーってことをたくさん聞いた
夏だったなあ。

東京に生まれるってことは
たいしたことなんだなあ。




夏のあり方
at 2007 08/17 08:15 編集

京都より帰宅。
いずこも暑い日々が続いているようで
ため息ばかりが深い。

それでもこんなふうに
空が青くて
雲がくっきり白くて
時折夕立なんかもきて
蝉がにぎやかで

顎の先から汗が滴り落ちて
思い出したよう
にちりんと風鈴が鳴って

仏壇磨いて
お坊さんがやってきて
麦茶を飲んで
おひさしぶりでございます、と言い

ゆずのすりおろしなんか入れた
ソーメン揖保の糸をすすって
スイカ食べて
あついねえと言い交わして

風の通り道でくたんとなって
お昼寝なんかする。

それが正しい夏のあり方なのかもしれんです。



季節のこと
at 2007 08/02 01:42 編集


8月が始まった。
蝉の声を聞きながらふっと思う。

暮らしの達人っていうのは
季節に身を任せることが
うまいひとのことかもしれん、と。

いや、季節と
うまく向き合うっていうのかな。

季節にこうであれかしと
注文は付けられないのだから
今を味わう。
今を惜しむ。

季節と向き合うことは
たえず自分の小ささを
意識するってことかもしれない。

謙虚に空を見上げ
うなずく。

空がどんな按配でも
よい日和であったり
よいお湿りであったりする。

よい今日はそんなふうに
こしらえていくものかもしれない。
 
そんな自明のことを
こんなに長く生きてきて
ようやく気づくなんてお粗末なことだけど

頭でなく実感として
残り時間を計りながら
たいせつなことを見極めていくなかで
それを感じることは
わたしにとっては
かなりの成長のように思えたりする。


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