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文の文

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天秤


天秤

乳ガンを患った友人がいる。みどりさんである。
2度、手術を受け、今も抗がん剤治療中である。
社交的な人で、病院でもたくさんのともだちをつくり
退院後もそのひとたちと行き来がある。

みどりさんは誰かのためになにかを役にたつことを
当たり前のようにどこか楽しみながら為してしまうひとで
入院中は自分が病んでいるにもかかわらず
まわりにひとの世話をなにくれと焼いていた。

同病相哀れむという言葉があるように、病人であることで、単純に
わかりあえる思いも多く、ともに励ましあうこともできる。

互いの腫瘍マーカーや白血球の数値、薬や検査が暗示するものを
説明なしに理解できるようになるし
点滴漏れの辛さや検査の結果を待つ不安も実感としてわかりあえる。

当たり前に健康な日々を送っているひと、
病んでいないひとには分かりえない病人の葛藤を分かち合える。

しかし、それでも病人同士が持つ友情はすこしあやうい。
いくら立ち向かっても
治療の甲斐なく向こう側へいってしまうひともいる。

乳がんという病は再発率がたかい。
一回目の手術で乳房を失う。
大切なものを失くしているのに
その次は命をも奪われてしまうことがある。

みどりさんはこれまで何人ものひとを送った。
二十代の結婚前の女性もいたし、幼子を残していった若い母親もいた。
ある老婦人は苦労し続けた暮らしがやっと落ち着き
一息ついたとたんに病が見つかり
体力がなくなっている体は持ちこたえることができなかった。

共に戦おうとしたひとたちが力尽きていくさまを目の当たりにすること
その喪失感がもたらす免疫力の低下は非常に大きい。
天秤の片側に置くにはあまりに大きな衝撃である。
それに見合う繋がりがあるのだろうかと切なくなる。

いやがおうでも、生き死にの線上に立たされる病であるから
その瀬戸際で人生観をあるいは死生観を問われる。
それぞれの人間性がよりくっきりと浮き彫りになる場面が多くなる。

ガンになったから、全てのひとがより深く考え、
悟りのようなものを開けるわけではない。
生き死にの境でまわりが見えなくなって、
より我侭になってしまうこともある。

どこにでも無神経なひとはいて
いなばのしろウサギに塩を擦り付けるように
世間の常識をガン患者に押し付けてくる場合もある。
みどりさんが溜め息混じりに告げた。

逝ってしまったひとのお葬式にでないと
「まあ、お葬式に出られないくらい具合が悪いの」
と訊いた仲間がいた。
そして「まあ、そんなに太っててもガンなの?」
という言葉も同じガン患者が言った。

天秤の片側に深い思いを置くとなかなかつりあいは取れない。
相手の立場や考えを深く感じ取ってしまうほうが
いつだって辛い思いをする。

同じ病棟で知り合い、
同じように病と闘った同士であるかもしれないが
どこまでも同じ道は歩めはしないのだと思う。
病院を出たらそれぞれの道を歩むしかないのだと。

そんなことをみどりさんに言ってもいいのだろうかと
ずっと思案し続けている。





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