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文の文

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藤田宣永さん

「雪国」恋愛の不可能性

昭和12年に書かれた川端康成の「雪国」は、なかなか難問を抱えている、簡単にかかれた作品である。

島村はワキであり、駒子がシテである。恋愛小説はそもそも女が主人公である。藤田氏夫婦の場合も小池真理子が主人公であり、藤田氏は脇役であるという。

恋愛小説に合うのはほとんど働かない男である。「源氏物語」やラクロの「危険な関係」の主人公は貴族である。

また青春と恋愛も馴染む。何もしない高等遊民も恋愛に馴染むが、働いていない男を現代に作るのはリアリティがないので難しい。

島村も思わぬ長逗留をしてしまうような何もしない男である。

恋愛小説のヒロインには高潔、清潔が求められる。
ピッと筋の入った女でないと読者の幻想を掻き立てることができない。

島村と駒子は不倫である。島村には妻子がいる。
不倫はあとくされのないのがいい。

不倫を40,50代でやるとめんどくさいことになってしまう。
不倫はファンタジーであり、9割は家庭を壊さない。

駒子は水商売の女で、それは女の媚を売っている仕事であるから
この恋はロマンティックラブではなく
ふたりはいっしょにならないであろうという前提のあとくされのない関係である。
そこかこの恋の不可能性である。

そういう関係であれば恋愛の舵取りができるようになる。
グジャグジャにならないようにする大人の知恵がはたらく。
分別の檻のなかで無軌道なことはしないという前提の大人の恋物語である。

恋愛と結婚が別物だとも考えられる。
恋愛だけで終わってしまうと両者はわかっている。
抵抗があるからまた燃える。

この女と寝たいなと思うことから恋愛が始まる。
男性は抱きたいのが愛してるのかよくわからない。未分化である。
体だけの関係と自分に言い聞かせてもいる。

駒子が酔って寄っていくシーンがある。そうなると男は受身になってしまう。
こういう甘えてくる女に男は弱い。女の裸のこころに触れたように思う。
そこには男の弱さもある。
駒子の素直な勇気無意識の誘惑に負けてしまう。
 
関係を持つところはあっさりと流して書く。

関係を持って駒子は「笑ってるでしょ、私のこと」という。
ただの遊女と同じでしょう、と。
これはよくないな、と思いながらまた惚れる。そんな状態で恋をしている。

駒子が島村を誘惑できたのは、彼が妻子や社会を捨てないだろうという安心感があったから。
いっしょになりたいけれど、そんなの無理だという安心感の上の誘惑。
そこで思いが寸止めされていて、それが純化されている恋愛小説なのである。

この物語全体の基調は「すべて徒労なのだ」ということである。その言葉は12回も出てくる。
島村は駒子の日記を見て「書き留めても仕様がない。徒労だね」という。
厭世的で人生に前向きでなく、「われわれの関係も徒労なのではないか」とクールにいったりする。
最初は徒労というタイトルが付いていたそうだ。

島村の都会人の現れとして、生活に分け入ってくるものを彼はいやがる。
生々しい関係を避けたいし、精神に入ってこられたくもない。
ウザイ関係や急接近は嫌だと思っている。

精神的絡みを嫌がる。それはなるべく寸止めにしておきたい。
それは女房に言われるようでいやなのだ。
結婚する、しないは大きい。

島村は旅人でありたい男である。恋愛に対してもそうである。
駒子は「いい加減に帰りなさい」という。筋の通った女である。
する島村は、こういう女ならもっといっしょにいたい、と矛盾した思いを抱く。
「帰りなさいよ」という女が健気で良く見える。

「この女は俺に惚れている。それがまた情けなかった」とはどういう意味か。
徒労であり何も生み出さない恋ということだ。恋の墓場が見えている小説である。

駒子と島村は互いに心理戦をしている。

恋愛をしているときは非人間的である。
相手のヒューマンな部分は消える。
相手がほしいときは相手の困ったことは関係ない。

情がうつるとときめきは消え、惰性になる。

雪国は異界である。幻想の世界、別世界である。
駒子は異界のひとなのに色をつけてくる。
高等遊民と芸者の関係がなまなましくなってしまう。

洋子という女もいいと島村は言う。
洋子はずっと異界のひとのままで非人間的存在である。

雪国は非日常であり、島村はそこを引きずっていったりきたりする。

島村と駒子はだんだん親しみすぎて、恋愛が日常に犯されてしまう。
それを島村が感じ取ってしまう。
それでもふたりは別れられない。ずるずるいってしまう。

情けない男の方が恋愛小説においてはよい。
情けない男はちょっともてる。どこか高潔なところがある。

島村は逡巡する。中間帯でゆらゆら揺れている。男らしくない。
逃げ出したいのになにもしない。
駒子も求めてはいない。
別れが近いのに、ふたりで我慢比べをしているようなものだ。

駒子のちょっとした手紙がうれしいのだけれど、そろそろひかなきゃいけないとも思っている。その矛盾。
なかなか自分では決めない。心理合戦がよくできている。

別れを予感して駒子が車のステップに乗ってすがる。
花柳界のおんなのしばりとそこにいる男。
切ないなと思える。こういうところで駒子が美しく可愛く見える。

島村は非現実をきちんをまもりアクションを起こさない。

火事が起こる。駒子が助けにいく。そこでこの恋愛が終わってことを象徴的にわからせる。
恋愛小説を越えた深みがある。

人間には生きることが大好きなひとと、生きることが好きじゃないひとがいる。
川端は後者であり、生き疲れている。
死から人生を見ており、恋愛の墓場から情熱をみている。

恋は遊びながらやらないと壊れてしまう。
先回りしてあーなったらこーなる、まで考えるからこわがってなにもできない。
勇気がなくて、窮屈だ。いい意味での遊びが必要。

「雪国」はいい意味の恋愛を深く描いている。
恋愛の純な形、その不可能性をぎりぎりのところで書いた作品。






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