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文の文

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18(最終回)・荒川洋治さん

有楽町で逢いました・18(最終回)

荒川洋治さん

「最近近代文学、明治の文豪と呼ばれる人の小説を読んでるんです。これがおもしろいの!」と荒川さんの話が始まった。

正宗白鳥や国木田独歩、高見順の名前があがる。 今から思えばどの作家も純情で、それがなかなかに愉快なのだという。

例えば、尾崎紅葉の書いた「多情多恨」の主人公鷲見柳之助は妻るいを失って悲嘆にくれて一日に二度も墓参りをするような男である。

「日に二回もですよ」と荒川さんは念を押す。

そして、岩野抱鳴にいたっては生活即芸術というひとで、全然進歩のない女好きで、作品の主人公は好きでもない女性と成り行きで心中したりしてしまう。それは未遂に終わるのだが、相手の女の人は髪飾りが落ちたから拾ってとせがむ。

「それは今でいうと五百円くらいのものなんですよ。それを惜しいと思うんですよ今さっきまで死のうとしてたのにですよ」それはほんとうに哀しくも可笑しい。

と、会場の空気をほぐした荒川さんは「詩と東京」というテーマで、ごくごく自然な流れで「東京」が現れる現代詩を追っていかれる。

ご当地の詩としては、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部」という詩がある。中野重治の「雨の降る品川駅」という詩もある。と、紹介してから、さりげなく詩の朗読(それがまた自然でいいのだが)を挟みながら、お話は深くなっていく。

山之口獏の「ざぶとん」という詩がある。これは詩人になりたくて沖縄から上京した作者が東京で書いた詩である。土の上から畳の上のざぶとんまで距離。「楽にしてください」といわれてそのざぶとんに楽に座った寂しさ。土から遠く離れた住みなれぬ世界が寂しい。

山之口獏は路上生活を経験している。その地べたに寝るくらしのなかで地球を感じていた。ざぶとんの下の下・・・に地球がある。地球に繋がるところにロマンがある。

谷川雁の「東京へ行くな」という詩もある。谷川は1960年代の4,5年の間に彗星のように現れ、そして活動停止した詩人である。学生運動の教祖であり九州三池闘争などに参加した革命家である。

幻の詩人といわれる神格化された詩人でもある。詩学1952年11月号「東京へ行くな」とうたったひとが東京へいき、大きな会社の社長さんになったのだそうだ。

鈴木志郎康(すずき・しろうやす)「やわらかい闇の夢」という詩はいい、と荒川さんはいう。

終電車の光景 よごれた新聞紙のことが書かれてある。美しい積極的な意味のあるものを素材にして扱ったそれまでの詩とは異なる世界である。自分のなかの権力が消え、そのひとのなかの素直なものがあらわれる。

「こんなながめはいいな」
これは素直なこころだ。普通なことからずばーと切り込む。さっと裏返してみせる。誰もがわかる。詩とはこういうものだ。

日常にいきなりすっと谷間をつくる。自然な生活者の目で掬い取る。さっと陰をつくる。さまざまに密集するなじみにくい現実、その見方をちがって捉える。文学をもとめるひとにひとつの光景をあたえている、と。


現代詩の父、小野十三郎には「断崖」という詩がある。

「断崖!かって彼等はその風貌を見て昏倒した
僕は 今 断崖の無い風景に窒息する」(「断崖」より),

これは大阪からの視点だ。大阪からみた東京批判なのだ。断崖のない風景ほどつまらないものはないという。精神性が緊張したものであるべきだと言っている。

黒田三郎「秋の日の午後三時」という詩がある。

「不忍池のほとりのベンチに坐って
僕はこっそりポケットウィスキーの蓋をあける
晴衣を着た小さなユリは
白い砂の上を真直ぐに駆け出してゆき
円を描いて帰ってくる

遠くであしかが頓狂な声で鳴く
「クワックワックワッ」
小さなユリが真似ながら帰ってくる
秋の日の午後三時
向岸のアヒルの群れた辺りにまばらな人影

遠くの方で微かに自動車の警笛の音
すべては遠い
遠い遠い世界のように
白い砂の上に並んだふたつの影を僕は見る
勤めを怠けた父親とその小さな娘の影を」

「怠けた」というところがこの詩のよいところである。許されないことだからこの詩はいい。弱い人間の持っているぎりぎりの人間性がいい。

黒田三郎は一貫して庶民の生活実感を謳いあげた詩人で、社会の現実に傷つく自己の無力さを執拗に描く。それは単なる社会へのルサンチマンへと直結させるのではなく、「無力」であるからこそ、その無力な自分を乗り越えてゆこうとする努力、そしてその努力を社会変革の方向に導いてゆこうとする、一庶民としての極めて愚直なまでに純粋な「人間の声」を発しているといわれている。

最後に荒川さんは詩について語られた。あふれるようにこぼれおちた荒川さんの言葉をせっせと拾って書き留めた言葉を敷き詰めておこう。よけいな解釈はいらない。

「詩はそれが個人から発せられたものであるがぎりどんなものであれそれを擁護する。
伝えることはどうでもいい。
自然に身体のなかから出てきた言葉を正直にだすことが表現だ。
詩は個人というものを護っている。
個人の言葉を受け止めよう、擁護しようというあったかさが詩にはある」

「いろんなことにあたって、これちがうんじゃないかと思ってみると、まったく違う見方ができる。
ものにこだわらずとらわれず直にあたってみると思わぬ驚きがある。
言葉を力に流し込む地下水のようにものの見方が身体の中に流れていく」

「このごろは、基本的なことを言ってくれる人がいない。
「駄目」と言ってくれない。口先だけであわせている人間関係だ。
そして、情報がありすぎる。人間というものの自然は出会いや別れを管理できない。
東京はきたない。それでも、あつまることで人間の自然が保たれている」


すべての講座が終わって、それを友人に話したら、「18人の講師のなかでどのひとがおもしろかった?」と訊ねられた。迷わず「荒川洋治さん」と答えた。

ほんとうにそう思っているのだが、さて「どうおもしろかったの?」と続けて訊かれると、これがうまく答えられない。

お話の中身もさることながらなによりその話し振り、間の取り方、しぐさ、視線の配りかたなどが魅力的だった。

言葉を噛み締めるような沈黙、ための作り方がいい。同意を求めるように確かめるように会場の端々に視線を飛ばしてから一点を見つめる。口ごもりながら髪をかき乱すしぐさエレファントカシマシというグループのボーカルの宮本さんにそっくりだ。

こんな風に書いてもちっとも的を得ていないような気がする。絶妙な匙加減というか、言うに言われぬ味わいのようなものだのだ。

好ましい人間くささといえばいいだろうか。詩人じゃないみたい!という思いがしてならなかった。それは偏見なのかもしれないのだが、そういう偏見の中にあって詩人として生きることのすごさを思う。

荒川さんは「美代子、あれは詩人だ。石を投げなさい」と書いた現代詩人さんである。

「言葉でもって時代と向き合う人生だ」とどこかで読んだが、それはなんとも、なみなみならんこと、ただごとではないことのように思われる。

この文章を書くにあたって、山之内獏と鈴木志郎康の詩の本を探して本屋を回った。残念ながら我が家の近くの本屋さんではとんと見かけなかった。古本屋さんにもなかった。

その古本屋さんで「詩集はありますか?」とたずねると、おじさんは老眼鏡をはずしながらまじめな顔で「編み物の本の隣に少しだけあるよ」と答えた。「刺繍」とまちがっているのだ。

ことほどさように詩人さんはたいへんなのだ。詩人にも二種類あって、谷川俊太郎・ねじめ正一・荒川洋治と他の詩人たちがいるだけなのかもしれないと思ったりする。

「無縁と思われた文学者でも、こちらがある年齢にとどきかけると、あらわれて、そろそろだよとささやく」

「大事なことはみんな本から教わる。文学は美学である。日常生活の手本をそこに見る。ねばりづよく一言に打たれる」

という荒川さんの言葉を噛み締める。それこそがこの六日間十八人の高名な方々から学んだことだったのかもしれない。


夏の文学学校の報告が冬になってしまうなんて、なんとスローテンポなんだろうと情けなく思っているし、反省もしている。

自分の覚書だけではよくわからないところを資料で調べてみたり、関連した本を読んでいるうちにどんどん時間は経ってしまった。

18回分、今回はどんなふうに書こうかな、という思案も長かった。それはそれで充実した時間ではあったのだが、なかなかに手ごわかった、というのが実感である。

今はとにもかくにも終えることができて、ほっとしている。遅れに遅れた宿題をやっと提出できそうな気分でいる。


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