チラシ配りをはじめて一ヶ月が過ぎた。配り始めたころは、あまりに陽射しの強さに日傘をさしていたが、陽射しはだんだんに優しい光に変わっていった。昼間の時間は徐々に縮まっていき、街は路地の奥から暮れていくのだった。
この一ヶ月、なんだか早かったなあと思う。
まあ、それもそのはずなのだ。宅配された最初の千枚がなくなる頃合を連絡をしなかったものだから、次のチラシがなかなか来なかったのである。
わたしはチラシというのは山ほど用意してあって、いつでも貰いに行けばあるのだと思っていたが、そうではなく、連絡を受けてから次のものを作成するのだという。だから、段取りを考えて山崎さんに報告しなければいけないのだと注意された。
ぽかんとした想いだったが、そんなわけで10日あまり空白がある。ま、この一ヶ月は天候も不順で、台風もきた。手元にチラシがあっても配れなかった日が多かっただろう。
空白の日が過ぎてまた配りはじめると、金属の郵便受けが鋭角的に跳ね返していた光が鈍く穏やかになっていた。古い家にまとわりつく植物の色がだんだん茶色を帯びていた。
そうして日は過ぎて、20日〆で計算したら、1487枚配っていて、一枚5円で計算して、電話代や切手代を入れて7575円という請求になった。
それは普通のひとが一日で稼ぐお金にも足らないような金額なのだが、とりあえずこの仕事での初収入だ。なんとなく面映いような誇らしいような、ふわふわっとした気分になる。
はじめてのおつかいのように不安で頼りない思いの一ヶ月だったなと思う。まわりのひとたちもそう思ったことだろう。
それでも目的を持って街を歩くと、家も人も違って見える。わたしにはそこに行く理由があり、そこに立つ意味もある。それはわたしのお仕事だから。請け負った責任を果たすのだから。
チラシ配りの目線を味わった。郵便受けがこんなに気になるものになるとは思わなかった。まったく関係ないところに出かけても、ふっと郵便受けに目が行って、ああ、あのタイプね、とか値踏みをしていたりする。
ただ歩いていると、思いがふっとそれることもあった。受け持ちエリアを回りながら、知らない街を巡る極小の旅を重ねているようでもあった。路地の奥の奥の見知らぬ世界に足を運ぶと、自分でも思いがけない感覚がわいてきたりもするのだった。
打ち棄てられている家財道具や子供の遊具がなんでこんなにものがなしいのかと感じていた。ひとのぬくもりを失ったものが強く目をひくのだった。
配られる側の視線は違うのだとも思った。「ああー、いらない。結構です。持って帰ってちょうだい」そんな台詞を何回も聞いた。歓迎されていないのだ。
それでも働いているという意識を共有できるひともいる。一軒一軒配っているんだね、とわかってくれるひともいる。そういうことがわかってよかったなあと思う。
開け放たれた窓やドアから、唐突に暮らしの一場面が目や耳に飛び込んできて戸惑うこともあった。大きなボリュームでテレビの音が聞こえたり、散らかった室内を一瞬見てしまったりした。
わたしにも同じように暮らしがある。一万歩を歩いた足は重いのだが、さあ、帰って洗濯物取り入れて、夕飯つくらにゃあ、と思う。風が冷たくなる頃に家路に着く。
チラシ配りに業務案内にこの仕事は一年契約であると明記してある。3ヶ月で首にならなくても一年でおわる。そのころにはわたしもいっぱしのチラシ配り人になっているにちがいない。・・・であったらよいのだが、と思う。
これがわたしの「ポストからポストへ チラシ配りの日々」だ。この作文はひとまずここで終わる。またなんかめっけたら、スペシャルをお届けすることにしよう。
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