新聞はテレビ欄から見る。そして一枚めくる。そこには4コマ漫画があり、三面記事があり、死亡広告がある。
7月20日付け朝日新聞朝刊の死亡広告のは六人の名が並んでいる。名前の横に傍線が引かれた六人の一番最後にA.J.クィネルの名があった。
(英国の冒険小説作家)・・・10日、肺がんのためマルタ・ゴゾ島で死去。65歳。
英バーミンガム近郊の町で生まれ、80年代に「燃える男」で作家デビュー。ほかに「スナップショット」「サン・カルロの対決」などの作品がある。
「燃える男」は04年の米映画「マイ・ボディガード」の原作となった。
とある。
大好きな作家だ。「燃える男」の主人公クリーシィの男らしさ、不屈の魂にはしびれた。その不器用で無骨な愛情も沁みた。一匹狼だった主人公が島でこころを開いていくゆくたてもいい。
その当時、クィネルという作家は国籍不明の匿名作家というふれこみだった。取材活動に差し支えるからあきらかにしないのだとか書いてあった記憶がある。
「メッカを撃て」「スナップ・ショット」「血の絆」「サン・カルロの対決」「ヴァチカンからの暗殺者」「イローナの四人の父親」「パーフェクト・キル」「ブルー・リング」「ブラック・ホーン」という作品を、すべて読んだ。
そして今手元にある「トレイル・オブ・ティアズ」にはクィネル本人の自筆のサインがある。彼がサインをするのをそばで見ていた。ウインナのように太い指が Quinnellと右上がりの筆記体をつづり、その下にラインを引いた。
そしてそれがすんで握手もした。じっとこちらの目をみて、肉厚のあったかな手が力強く握った。
彼が来日したとき、国際ブックフェアの会場でのことだ。もう何年前になるのだろう。正体不明の彼が正体を明らかにしたのだった。
山のように大きな体躯で無骨な顔立ち、顎には切れ目が入っていた。そのくせ大きな目がときにチャーミングにウインクしたりする。
サイン会のあと講演会もあった。大きな体をちょっとはすに構えて、地の底から響いてくるような声で小説について語った。むろんこちらは翻訳してもらって聞くのだが。
「小説は女みたいなもんさ」彼はそう言った。その言葉だけがいつまでもこころに残っている。
今年はエド・マクベインも逝った。もうアイソラの刑事たちの新しい消息は聞けない。
そしてあの頑丈で何事にもびくともしないように見えたクィネルも逝ってしまった。来日したときも病は彼の大きな体にひそんでいたのだろうか。
彼の作品ももうこれ以上書かれることはない。
うつうつとした時間、血わき肉踊るものがたりにどれだけ憂さを晴らしてもらったことだろう。感謝とともにご冥福をお祈りする。
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